世宗実録の鬱陵島記事
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/30 03:16 投稿番号: [18411 / 18519]
1419年3月29日
武陵島に潛居しようと謀議した者を杖一百にした。
1419年4月1日 武陵出來男婦共十七名が、平丘驛に至り、絶糧となる。然るに、これを援ける者がいない。王は救済命令を出した。
1423年-月-日 武陵島に男婦28名が逃げた。
1425年5月-日 武陵島に男婦7名を残して平海に来た者を捕らえた。
1425年8月8日 金麟雨を于山武陵等處按撫使に任じて、刷還を命じた。
1425年10月20日 金麟雨が本島で20名を逮捕し、官員46人を失った。王は「何が益なのか。この島には別段の産物もない。」と言った。
1425年10月20日 王が「逃げた理由は賦役を兔れたと解される。」「捕還した逃民は、潛從他國ではない。赦前の犯罪だから、罪を加えるのは宜しくない。」と言うので、逃民を深遠な山郡に置き、3年後に赦免するようにした。
1425年10月26日 于山茂陵等處按撫使の金麟雨を賞する。
1425年11月20日 茂陵島の帰途に難破した者の慰霊祭を行う。
1425年12月28日 漂流者10名が日本から帰国した。36人は溺死した。
1426年12月13日 茂陵島と対馬に逃げて火藥秘術を教えないか心配なので、沿海で火薬を造らない様にした。
1432年-月-日 『新撰八道地理志』編纂。二島相去不遠 風日芿明 則可望見。
1436年6月19日 江原道監司柳季聞啓。「武陵島・牛山は土沃多産だから移民してはどうか。」
1437年2月8日 「茂陵島は土地が半島の10倍も肥えている。嶺東の藩籍としてはどうか」の江原道監司建白あり。「此島は陸地から遠くて、風水が甚だしく惡い。郡縣は置けない。」と反対あり。「茂陵島が無人になって久しい。若し倭奴が先據すれば、將來之患となる。毎年人を送って島を探索する様にしてはどうか。」と結論する。
1438年4月21日 武陵島は土沃可居なので、南薈と曹敏を茂陵島巡審敬差官にした。
1438年7月15日 南薈と曹敏は、男女66人を逮捕し、土地の産物を持ち帰った。
1438年7月15日 發船一日一夜乃至・・・東西一日程, 南北一日半程
1438年7月15日 議政府據兵曹呈啓。茂陵島が本國之地に係ると雖も、海中絶域なので、國家は縣邑を置いていない。逃隱者への逃避之罪は容赦しないが、温情を以って罰せよ。
1438年7月26日 傳旨江原道監司。茂陵島は本来人の住む処である。昔は往來之地であった。然に、近頃の者は、大洋を渡るのを恐れている。昼夜これを憂慮している。
1438年11月25日 茂陵島に逃入した首謀者を絞刑に処した。従犯は流刑。
1439年2月7日 茂陵島で暮らしていた者を絞刑に処した。
1454年-月-日 世宗実録地理誌。三陟都護府 蔚珍縣。于山武陵二島 在縣正東海中。【二島 相去不遠 風日芿明則可望見 新羅時稱于山國 一云鬱陵島 地方百里・・・
1419年4月1日 武陵出來男婦共十七名が、平丘驛に至り、絶糧となる。然るに、これを援ける者がいない。王は救済命令を出した。
1423年-月-日 武陵島に男婦28名が逃げた。
1425年5月-日 武陵島に男婦7名を残して平海に来た者を捕らえた。
1425年8月8日 金麟雨を于山武陵等處按撫使に任じて、刷還を命じた。
1425年10月20日 金麟雨が本島で20名を逮捕し、官員46人を失った。王は「何が益なのか。この島には別段の産物もない。」と言った。
1425年10月20日 王が「逃げた理由は賦役を兔れたと解される。」「捕還した逃民は、潛從他國ではない。赦前の犯罪だから、罪を加えるのは宜しくない。」と言うので、逃民を深遠な山郡に置き、3年後に赦免するようにした。
1425年10月26日 于山茂陵等處按撫使の金麟雨を賞する。
1425年11月20日 茂陵島の帰途に難破した者の慰霊祭を行う。
1425年12月28日 漂流者10名が日本から帰国した。36人は溺死した。
1426年12月13日 茂陵島と対馬に逃げて火藥秘術を教えないか心配なので、沿海で火薬を造らない様にした。
1432年-月-日 『新撰八道地理志』編纂。二島相去不遠 風日芿明 則可望見。
1436年6月19日 江原道監司柳季聞啓。「武陵島・牛山は土沃多産だから移民してはどうか。」
1437年2月8日 「茂陵島は土地が半島の10倍も肥えている。嶺東の藩籍としてはどうか」の江原道監司建白あり。「此島は陸地から遠くて、風水が甚だしく惡い。郡縣は置けない。」と反対あり。「茂陵島が無人になって久しい。若し倭奴が先據すれば、將來之患となる。毎年人を送って島を探索する様にしてはどうか。」と結論する。
1438年4月21日 武陵島は土沃可居なので、南薈と曹敏を茂陵島巡審敬差官にした。
1438年7月15日 南薈と曹敏は、男女66人を逮捕し、土地の産物を持ち帰った。
1438年7月15日 發船一日一夜乃至・・・東西一日程, 南北一日半程
1438年7月15日 議政府據兵曹呈啓。茂陵島が本國之地に係ると雖も、海中絶域なので、國家は縣邑を置いていない。逃隱者への逃避之罪は容赦しないが、温情を以って罰せよ。
1438年7月26日 傳旨江原道監司。茂陵島は本来人の住む処である。昔は往來之地であった。然に、近頃の者は、大洋を渡るのを恐れている。昼夜これを憂慮している。
1438年11月25日 茂陵島に逃入した首謀者を絞刑に処した。従犯は流刑。
1439年2月7日 茂陵島で暮らしていた者を絞刑に処した。
1454年-月-日 世宗実録地理誌。三陟都護府 蔚珍縣。于山武陵二島 在縣正東海中。【二島 相去不遠 風日芿明則可望見 新羅時稱于山國 一云鬱陵島 地方百里・・・
これは メッセージ 18404 (take_8591 さん)への返信です.
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