太宗実録の鬱陵島記事
投稿者: take_8591 投稿日時: 2010/08/30 03:06 投稿番号: [18410 / 18519]
1403年8月11日
江陵道の武陵島の居民を半島に出るように言い付けた。
1407年3月16日
対馬島守護宗貞茂が、武陵島に移住して暮すことを要請したが、これを断る.
1412年4月15日
流山國島人12名が江原道を訪ねて曰く。「私達は武陵島で生長したが、今は11戸60余人で流山國島で住んでいる。」と。觀察使は、彼らが逃げないように通州高城杆城に分置した。
1416年9月2日
江原道都觀察使は聞いた事がある。「武陵島の周回は七息で、傍に小島がある。昔、方之用が十五家を従え、時に假倭寇を為した。」と。
1416年9月2日
三陟人金麟雨は奏上した。「武陵島ははるかな海中にあり、人が通わない。軍役を避ける者や逃亡者が島に入る。若し島に多くの人が入れば倭寇が必ず入り、江原道を侵す事になる。」と。
1416年9月2日
金麟雨を武陵等處安撫使にし、其頭目を諭す様に命じた。
1417年2月5日
金麟雨が于山島から還り報告する。「土地の産物を献上する。居住民3人を率いてきた。其島には、15戸男女86人が住む。」
1417年2月8日
「物資と主帥を送って慰撫し、土貢を納めさせてはどうか。」と建議あり、王は「彼らは、役を逃れ楽に暮らすのが目的だから、土貢を定めると定着しない。」と許可しなかった。
1417年2月8日
金麟雨に于山武陵等處の居人を出陸させるよう命じた。
1417年2月8日
于山人3名には、各衣一襲を与えた。
1417年8月6日
倭が于山、武陵を寇した。
これは メッセージ 18404 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/18410.html