Re: 鬱陵島と松島(現竹島)その1
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2010/04/06 18:30 投稿番号: [18186 / 18519]
ararenotomo1様のご意見は、結局は「現代」の視角から、全く出ていないように思います。今の竹島と鬱陵島の位置と形状などを理解した上で、それをもって過去を解釈しようとなさっていらっしゃるように見えます。
ご意見は半月城さんと同じですね。私は、それは考える筋道が間違っているのではないかと考えます。
>私は、内務省と太政官の「竹島外一島本邦関係無之」との判断には、島根県提出の文書が最も重要であったと考えます。
重要であることとそれが基準になることは別問題であると思います。ですから、私はその基準として、島根県の文書が唯一の資料になる根拠はどこにあるのか、と質問した次第です。
その質問に「島根県提出の文書が最も重要だったと思います」では、何の根拠の提示にもなっていませんし、まったく回答にはなっていないと思います。
私は、むしろ、政府から出ていた資料がことごとく竹島=アルゴノート、松島=ダジュレーであったことにもっと注目すべきであると申し上げました。
また、ararenotomo1様は、
>内務省や太政官が、竹島・松島の状態を詳細且正確に記述した島根県提出の資料を差し置き、西洋の間違った地図に基づいて、竹島を架空のアルゴノート、松島を鬱陵島と判断していたとは、私には到底理解できません。
と仰いますが、では、1881年の内務省地理局「大日本府県分轄図」をどのように理解されるのでしょうか。アルゴノート・ダジュレーが竹島・松島となっていますが、これは内務省地理局の歪曲ということで理解すればよろしいのでしょうか。
本当はリアンクール岩を放棄していたのに、気(政策)が変わったので、方向転換したというご意見でしょうか。ご教授いただければ幸いです。
なぜ当時の内務省や太政官が政府の各部署から出ていた地図は間違っていて、島根県の資料だけが有効であると判断したと断言できるのか。それは「現代」の視角に拘束されているからにほからならないことでしょう。
資料は帰納法的に理解すべきで、演繹法で解釈すべきではないと考えます。
これは メッセージ 18184 (ararenotomo1 さん)への返信です.
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