竹島

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竹島外一島は鬱陵島と松島(現竹島)

投稿者: ararenotomo1 投稿日時: 2010/04/05 22:02 投稿番号: [18184 / 18519]
ahirutousagi2様

「Re: 韓国のパンフレット」へのお答え(Nos.18038〜18041)有難うございます。ネット接続が出来なかったため、レスポンスが大変遅くなったことをお詫びします。

ahirutousagi2様は、「一切の当時の資料を無視して、島根県提出の文書だけに拘束されなければならない理由を教えていただければ幸いです。」と書かれたので、それについてお答え致します。

私は、内務省と太政官の「竹島外一島本邦関係無之」との判断には、島根県提出の文書が最も重要であったと考えます。

1876年10月5日、内務省地理寮は地籍編纂のため島根県に「竹島」について問合せました。同年10月16日付で、島根県は「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」を、幾つかの付属文書とともに内務省に提出しました。

付属文書の一つ「原由之大畧」は「竹島」の沿革と地理を簡潔に記しましたが、特に、動植鉱物や産物を詳述しているのを興味深く感じました。島根県は、物産の豊富さを強調し、内務省が「竹島」を島根県管轄と決めるのを期待していたのではないかと思います。

当時「竹島」について最も詳しく述べたのは、松浦武四郎が、1854年に著し、岩倉具視邸に寄寓していた1871年に刊行した『竹島雜誌』と思われます。「原由之大畧」は『竹島雜誌』も参考にしましたが、多くは島根県独自の調査結果を記述しています。松島の記事「次ニ一島アリ松島ト呼フ周回三十町許竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル八拾里許樹竹稀ナリ亦魚(鳥)獸ヲ産ス」は、大西教保『隠岐古記集』(1823)の「亥ノ方凡四十餘里にして松島あり周り凡壱里程にして生木なき岩嶋といふ」より更に詳しくなっています。

また、付属の「磯竹島略圖」は、細かい地名を付けた竹島と、二つの主島と幾つかの岩礁からなる松島を描いています。内務省と太政官は、これら付属文書の詳しい記載によって、隠岐と朝鮮の間に存在する竹島・松島について十分な知識を持っていたと考えます。

ahirutousagi2様は、アルゴノート・ダジュレーを竹島・松島とした幾つかの翻訳地図を挙げ、「内務省を含め、すべての政府機関で竹島・松島をアルゴノート・ダジュレーと判断していたと考えていたと見て、過言ではないものと思われます。」と述べられました。

しかし、内務省や太政官が、竹島・松島の状態を詳細且正確に記述した島根県提出の資料を差し置き、西洋の間違った地図に基づいて、竹島を架空のアルゴノート、松島を鬱陵島と判断していたとは、私には到底理解できません。

確かに、日本の陸海軍は、本掲示板No.17667で示したように、鬱陵島に松島の名を与えました。これは日本の地誌が記している本来の松島を全く知らなかったからでしょう。

また、外務省では1876〜78年にかけて、松島の名で鬱陵島開拓願が出されたので、その取扱いについて議論がありました。1876年6月ウインから帰国した記録局長渡邉洪基は、西洋の地図には詳しかったが日本の地図に疎く、竹島松島は所属不明だから島根県に照会すると共に船艦を派遣して調べるべき、と主張しました。

一方、旧幕府で外交に携った交信局長田邉太一は、開拓願の松島は鬱陵島と確信していたので、他国領に船艦を派遣して調べるべきでない、と渡邉の意見に強く反対しました。

さらに田邉は、本来の松島について、「松島ハ我邦人ノ命セル名ニシテ其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」と、松島は朝鮮蔚陵島に属する于山=現竹島と認識していました。

これらに関する更に詳しい議論はGerry Bevers氏の下記ブログを参照して下さい。
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2009/11/4the-22nd-column-seeking-truth-based.htm l

1877年3月太政官は、島根県提出の文書に基づき、島根県の期待に反して、「竹島外一島本邦関係無之」と決定しました。この竹島は鬱陵島、外一島は本来の松島です。
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