半月城通信の改ざん1
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2009/02/21 14:19 投稿番号: [17347 / 18519]
>
ただし、自己の主張にブレがある人は問題外です。それは拙論「下條正男の論説を批判する」(嶺南大学『独島研究』4号)に書いたとおりです。
>下条氏の言う「輿地志」に「于山は則ち倭の所謂松島なり」と掲載されていないことは、その後証明されました。既に、『東国文献備考』の捏造は証明されているのです。
半月城さんは自己の主張にブレがあることを隠蔽するために自分のホームページを改ざんしてしまいました。。。
現在、半月城通信にはこのような文章があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
柳馨遠の『輿地志』の「一説に于山鬱陵 本一島」という文章は、まず申景濬の『疆界考』の按記で、于山島と鬱陵島が別々の島であることを主張するための材料として引用され、さらに「輿地考」の文中で洪啓禧の手が加わって、「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂 松島なり」という形に改竄されていたのである(注3,P102)。
結局、この文章もまさに同氏のいう「我田引水的 文献解釈」のひとつではないでしょうか。
なお、于山島と鬱陵島は別々の島でであるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。この認識は、1432年の『世宗実録』地理志ですでに示されていました。。
下條正男氏への批判、朝鮮史書改ざん説
2004/11/14
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところがどっこい、「インターネットアーカイブ」というサイトに保存されているこのページの過去に書かれていたキャッシュのDec 14, 2005の文章と比べてみると、現在は
なお、于山島と鬱陵島は別々の島でであるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。
この認識は、1432年の『世宗実録』地理志ですでに示されていました。。
となっている部分が、
以上の考察から、于山島と鬱陵島は別々の島で、于山島は日本でいう松島(竹島=独島)であるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。
この認識は、1432年の『世宗実録』地理志における下記の記述を継承、具体化したものといえます。
となっています。
インターネットアーカイブ
http://web.archive.org/*/http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785
「示されていました。」の後の二つ目の「。」は消し忘れであり改ざんの痕跡であることに疑いの余地はありません。
>下条氏の言う「輿地志」に「于山は則ち倭の所謂松島なり」と掲載されていないことは、その後証明されました。既に、『東国文献備考』の捏造は証明されているのです。
半月城さんは自己の主張にブレがあることを隠蔽するために自分のホームページを改ざんしてしまいました。。。
現在、半月城通信にはこのような文章があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
柳馨遠の『輿地志』の「一説に于山鬱陵 本一島」という文章は、まず申景濬の『疆界考』の按記で、于山島と鬱陵島が別々の島であることを主張するための材料として引用され、さらに「輿地考」の文中で洪啓禧の手が加わって、「輿地志に云う、鬱陵、于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂 松島なり」という形に改竄されていたのである(注3,P102)。
結局、この文章もまさに同氏のいう「我田引水的 文献解釈」のひとつではないでしょうか。
なお、于山島と鬱陵島は別々の島でであるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。この認識は、1432年の『世宗実録』地理志ですでに示されていました。。
下條正男氏への批判、朝鮮史書改ざん説
2004/11/14
http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ところがどっこい、「インターネットアーカイブ」というサイトに保存されているこのページの過去に書かれていたキャッシュのDec 14, 2005の文章と比べてみると、現在は
なお、于山島と鬱陵島は別々の島でであるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。
この認識は、1432年の『世宗実録』地理志ですでに示されていました。。
となっている部分が、
以上の考察から、于山島と鬱陵島は別々の島で、于山島は日本でいう松島(竹島=独島)であるという認識は『輿地志』が書かれた1656年にはすでに成立していたと見るべきではないでしょうか。
この認識は、1432年の『世宗実録』地理志における下記の記述を継承、具体化したものといえます。
となっています。
インターネットアーカイブ
http://web.archive.org/*/http://www.han.org/a/half-moon/hm107.html#No.785
「示されていました。」の後の二つ目の「。」は消し忘れであり改ざんの痕跡であることに疑いの余地はありません。
これは メッセージ 17343 (take_8591 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/cddeg_1/17347.html