竹島

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竹島=独島編入にたいする反発1

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/05/11 22:20 投稿番号: [1658 / 18519]
   半月城です。
   1905年、日本は竹島=独島をこっそり領土編入しましたが、これにたいする大韓帝国(韓国)の反応について記すことにします。というのは、日本の領土編入が狼どもの国際法に違反するものであっても、韓国が正当な理由なしにそれに何ら異議をとなえなかったとなると、日本の不法行為を容認したとみられかねないからです。
   前に書いたように、日本による竹島=独島の領土編入は官報など政府レベルではまったく公表されず、わずかに島根県告示第40号(1905.2.22)として公表されました。これは、新聞ではわずかに地方紙の山陰新聞に報道されたようですが、これではほとんどの日本国民すらその事実を知ることができなかったことでしょう。

   もちろん、韓国もそうした事実を知るよしもありません。当然、韓国は島根県告示に何の反応も示しませんでした。韓国が日本による竹島=独島編入の事実知ったのは、翌年の3月になってからでした。島根県は事務官(第3部長)神西由太郎を責任者とする「竹島視察団」45名を竹島=独島へ派遣しましたが、一行は突然予定を変え、28日(陰暦4日)鬱陵島をおとずれ、郡守の沈興澤に竹島=独島が日本領に編入されたことを告げたのでした。
   これに沈興澤は驚き、翌日には報告書を下記のように書き上げ、江原道庁に善処を求めました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   本郡所属の獨島は本部外洋百余里にあるが、本月4日午前8時ころ輸船1隻が島内道洞浦に停泊し、日本人官員一行が官舎をおとずれたが、かれらがいうには、獨島がこのたび日本領地に編入されたので視察に来て、そのついでに来島したとのことであった。
   一行は日本島根県 隠岐島司 東文輔および事務官 神西由太郎、税務監督局長 吉田平吾、分署長警部 影山岩八郎、巡査一人、会議員一人、医師技士各一人、そのほか随員十余人であった。
   まず質問したことは、戸数、人口と土地の生産物の多少、ついで人員や経費がどれくらいか、さらには諸般の事務を調査し記録していった。ここにその事実を報告するので照亮されるよう伏望する。
  光武十年丙午 陰三月五日(注1)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   報告書で獨島は鬱陵島の外洋百余里とありますが、これをメートル法に直すと40数kmになるので、獨島が竹島=独島をさすことはいうまでもありません。鬱郡の郡守 沈興澤は獨島を同郡所属と認識していたわけです。これは、日本の軍艦 新高が日誌(1903)に「『リヤンコルド』岩 韓人之ヲ獨島ト書シ」と記した事実に合致することはいうまでもありません。この報告書にたいし、関係官庁はつぎのような対応をしました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   鬱島郡守から右のような報告を受けた江原道庁では、4月29日に江原道観察使署理 春川郡守 李明来から、議政府参政大臣に宛て「沈興澤報告書」としてそのまま同文を送っていた。
   沈興澤が江原道に報告を送ったのは陰暦3月5日、陽暦では3月29日であったから、鬱陵島から本土への便船の都合で1か月近くを要したものと思われる。そして中央の議政府では江原道庁からの報告書を5月7日付で受理し、参政大臣 朴斉純は5月20日付の指令第3号で「獨島が日本領になったということは全く根拠のないことであるが、さらに独島の状況と日本人の行動について調査して報告すること」と指示した(注2)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
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