Re: 『輿地勝覧』本土から欝陵島を見ていな
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2008/01/10 22:51 投稿番号: [16126 / 18519]
>「日初出時風恬浪靜則衆峰サン(手偏に賛)青岩壑呈露」「日初めて出る時風穏かに浪静かならば則衆峰むらがり青岩壑に呈露す」は、海上から見た景観とも取れますが、壑(ガク)は「たに。山と山のあいだの、くぼんでいるところ。土地がくぼんでいるところ。『日本語大辞典』」とあります。そこで、谷底或は窪地に露呈する青岩を、海上から見るのは困難と思われるので、欝陵島の高所から見た景観としました。
この部分は、私は「衆峰群がり青岩壑に呈露す」ではなく「衆峰青く群がり岩壑呈露す」と読みました。つまり、峰々が青く群がり岩谷が露呈しているという理解です。遠くから見て、青い峰々が見え、そして岩谷までも見えているさま[岩谷は文字通り岩や谷]。
別段、上から見る必要もありません。また「日初出時風恬浪靜則」から考えても、違和感はありません。むしろ、上から見ると理解するのは相当に不自然です。
>同書では、『実録地理志』の「二島相去不遠」との一節のかわりに、これに該当する箇所を「三峰岌ゲフ(山の下に業)タウ(手偏に掌)空 南峯稍卑 風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見 風便則二日可到」という表現に改めている。これは明らかに、本土から風日清明の際に欝陵島を望見した状況について描写したものであって、于山・欝陵二島間に関する記事ではない。
正しい記述だと思います。
>『新筯東國輿地勝覧』の「風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」の文章は、峯頭の樹木や山根の沙渚が分明に見えるとしているので、本土から140kmも離れた欝陵島を望見した状況についての描写とは、私には読めません。欝陵島に上陸して或は近くの海上から見た欝陵島を描写したものと読みます。
繰り返し申し上げますが、今現在の理解で本土から見てどうであるとか、この描写は現実に即している、というのは、無意味だと言うことです。遠く離れた鬱陵島を望見した状況の描写とは見えない、というのは、単に、貴殿の主観に過ぎません。
見える見えないはどうでもよいのです。文章をそのままに理解すればそれでよろしいかと。実際に、当時の人々にとって鬱陵島は現在ほどに明確に具体像を把握されていた島ではありませんでしたし、ましてや、于山島はまったくの不明の島であったとすべきでしょう。
この部分は、私は「衆峰群がり青岩壑に呈露す」ではなく「衆峰青く群がり岩壑呈露す」と読みました。つまり、峰々が青く群がり岩谷が露呈しているという理解です。遠くから見て、青い峰々が見え、そして岩谷までも見えているさま[岩谷は文字通り岩や谷]。
別段、上から見る必要もありません。また「日初出時風恬浪靜則」から考えても、違和感はありません。むしろ、上から見ると理解するのは相当に不自然です。
>同書では、『実録地理志』の「二島相去不遠」との一節のかわりに、これに該当する箇所を「三峰岌ゲフ(山の下に業)タウ(手偏に掌)空 南峯稍卑 風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見 風便則二日可到」という表現に改めている。これは明らかに、本土から風日清明の際に欝陵島を望見した状況について描写したものであって、于山・欝陵二島間に関する記事ではない。
正しい記述だと思います。
>『新筯東國輿地勝覧』の「風日清明則峯頭樹木及山根沙渚歴歴可見」の文章は、峯頭の樹木や山根の沙渚が分明に見えるとしているので、本土から140kmも離れた欝陵島を望見した状況についての描写とは、私には読めません。欝陵島に上陸して或は近くの海上から見た欝陵島を描写したものと読みます。
繰り返し申し上げますが、今現在の理解で本土から見てどうであるとか、この描写は現実に即している、というのは、無意味だと言うことです。遠く離れた鬱陵島を望見した状況の描写とは見えない、というのは、単に、貴殿の主観に過ぎません。
見える見えないはどうでもよいのです。文章をそのままに理解すればそれでよろしいかと。実際に、当時の人々にとって鬱陵島は現在ほどに明確に具体像を把握されていた島ではありませんでしたし、ましてや、于山島はまったくの不明の島であったとすべきでしょう。
これは メッセージ 16124 (ararenotomo さん)への返信です.
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