島名の混乱と竹島=独島認識2
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/03/22 22:21 投稿番号: [1552 / 18519]
こうした島名の混乱が始まるなかで、鬱陵島開拓の目的で「松島開拓の議」「松島開拓願」などが外務省に、「竹島渡海之願」が東京府に七六年から七八年にかけて相次いで提出された。
このなかで「松島」開拓願いを受けた外務省は、「松島」なる島の所在をめぐって混乱した。記録局長の渡邊洪基は「其松島『デラセ』嶋ナル者ハ本来ノ竹嶋即チ蔚陵島ニシテ我松嶋ナル者ハ洋名『ホル子ットロックス』ナルカ如シ」と述べ、開拓願いの松島は古来の竹島(鬱陵島)であり、古来の松島はホルネットロックス(竹島=独島)であろうと推測していた(22)。
一方、公信局長の田邊太一は開拓願いの松島を「朝鮮ノ鬱陵島」と断定し、開拓願いに却下の意見を付した。ただし「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ 其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」と述べ、古来の松島は鬱陵島付属の于山島であると理解していた。
このように、外務省では古来の松島と開拓願いの松島をおおむね見分けていたようだが、誰も確信を持てない状況であった。それを明確にするために実地調査しようとする意見が根強くあった。しかし、これは朝鮮領を巡視することになり、外交上好ましくないとする田邊太一局長の次のような意見により一時保留となった。
「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ 其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ 蔚陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生シ 文書往復ノ末 永ク証テ我有トセサルヲ約シ載テ両国ノ史ニ在リ 今故ナク人ヲ遣テコレヲ巡視セシム 此ヲ他人ノ寳ヲ數フトイフ 況ンヤ隣境ヲ侵越スルニ類シ 我ト韓トノ交漸ク緒ニ就クトイヘトモ猜嫌猶未全ク除カサルニ際シ如此一挙ヨリシテ再ヒ一隙ヲ開カン事 尤交際家ノ忌ム所ナルベシ(23)」
保留になった「松島」の実地調査は、やっと八〇年(明治十三)年になって軍艦天城を廻航して行われた。その結果「松島」は元禄時代の竹島、すなわち朝鮮の鬱陵島で日本の版図外であることが判明し、外務省はこう結論づけた。
「明治十三年 天城艦ノ松島ニ廻航スルニ及ヒ 其地ニ至リ 測量シ始テ松島ハ鬱陵島ニシテ 其他竹島ナル者ハ一個ノ岩石タルニ過キサルヲ知リ事始テ了然タリ 然ルトキ今日ノ松島ハ即チ元禄十二年称スル所ノ竹島ニシテ 古来我版図外ノ地タルヤ知ルヘシ(24)」
報告書で竹島は鬱陵島近辺の「岩石」にされてしまったが、これを契機に日本では鬱陵島が公文書でも次第に松島と称されるようになった。それだけ古来の松島(竹島=独島)は存在感が薄かったのである。その結果、古来の松島は本来の島名を失ってしまい、かわりに欧米名そのままにリアンコールトあるいはリアンクール、リヤンコ、ホーネットなどと称されるようになった。
(つづく)
このなかで「松島」開拓願いを受けた外務省は、「松島」なる島の所在をめぐって混乱した。記録局長の渡邊洪基は「其松島『デラセ』嶋ナル者ハ本来ノ竹嶋即チ蔚陵島ニシテ我松嶋ナル者ハ洋名『ホル子ットロックス』ナルカ如シ」と述べ、開拓願いの松島は古来の竹島(鬱陵島)であり、古来の松島はホルネットロックス(竹島=独島)であろうと推測していた(22)。
一方、公信局長の田邊太一は開拓願いの松島を「朝鮮ノ鬱陵島」と断定し、開拓願いに却下の意見を付した。ただし「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ 其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ」と述べ、古来の松島は鬱陵島付属の于山島であると理解していた。
このように、外務省では古来の松島と開拓願いの松島をおおむね見分けていたようだが、誰も確信を持てない状況であった。それを明確にするために実地調査しようとする意見が根強くあった。しかし、これは朝鮮領を巡視することになり、外交上好ましくないとする田邊太一局長の次のような意見により一時保留となった。
「聞ク松島ハ我邦人ノ命ゼル名ニシテ 其実ハ朝鮮蔚陵島ニ属スル于山ナリ 蔚陵島ノ朝鮮ニ属スルハ旧政府ノ時一葛藤ヲ生シ 文書往復ノ末 永ク証テ我有トセサルヲ約シ載テ両国ノ史ニ在リ 今故ナク人ヲ遣テコレヲ巡視セシム 此ヲ他人ノ寳ヲ數フトイフ 況ンヤ隣境ヲ侵越スルニ類シ 我ト韓トノ交漸ク緒ニ就クトイヘトモ猜嫌猶未全ク除カサルニ際シ如此一挙ヨリシテ再ヒ一隙ヲ開カン事 尤交際家ノ忌ム所ナルベシ(23)」
保留になった「松島」の実地調査は、やっと八〇年(明治十三)年になって軍艦天城を廻航して行われた。その結果「松島」は元禄時代の竹島、すなわち朝鮮の鬱陵島で日本の版図外であることが判明し、外務省はこう結論づけた。
「明治十三年 天城艦ノ松島ニ廻航スルニ及ヒ 其地ニ至リ 測量シ始テ松島ハ鬱陵島ニシテ 其他竹島ナル者ハ一個ノ岩石タルニ過キサルヲ知リ事始テ了然タリ 然ルトキ今日ノ松島ハ即チ元禄十二年称スル所ノ竹島ニシテ 古来我版図外ノ地タルヤ知ルヘシ(24)」
報告書で竹島は鬱陵島近辺の「岩石」にされてしまったが、これを契機に日本では鬱陵島が公文書でも次第に松島と称されるようになった。それだけ古来の松島(竹島=独島)は存在感が薄かったのである。その結果、古来の松島は本来の島名を失ってしまい、かわりに欧米名そのままにリアンコールトあるいはリアンクール、リヤンコ、ホーネットなどと称されるようになった。
(つづく)
これは メッセージ 1551 (hangetsujoh さん)への返信です.
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