Re:続韓国の反論 報道に対する反論
投稿者: yabutarou01 投稿日時: 2007/02/25 16:56 投稿番号: [15437 / 18519]
■=当時の我が国は独島(于山島)の存在を確実にに認識していた
=これは、1711年にパク・ソクチャンの鬱陵島探査の直接的なきっかけとなった安竜福の活動を
通じて明確に判明〜最近(2005年)、安竜福の第二次渡日活動に関する調査の報告書が日本の
隠岐島で発見されたが、その文書には安竜福が朝鮮と鬱陵島、鬱陵島と独島の町を明確に述べ、
日本で『竹島、松島』と言う島が朝鮮国・江原道(カンウォンド)に附属した『鬱陵島、子山島』と記録。
=すなわちここで子山島(于山島)が、鬱陵島の隣にある竹嶼ではない事を更に明確にする事で、
我が国の独島に対する領土意識を確実に立証。
2005年に発見された『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸 一巻之覚書』のなかで安竜福らは朝鮮から鬱陵島まで30里(120km)、鬱陵島から松島まで50里(200km)と主張していますが 、実際には朝鮮(蔚珍)から鬱陵島まで140km、鬱陵島から松島(竹島)まで92kmであり事実とはかけ離れています。
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=104297145
また安竜福は朝鮮国江原道蔚珍に属しているはずの『竹島(鬱陵島)』が、朝鮮国江原道東莱に属していると言っています。
『竹嶋記事』では安竜福は鬱陵島の北東に子山島(于山島)があると言っているのですが、全く無視ですね。
(2)『1834年の地図について』
■=2番目の1834年地図は1834年、金正浩(キム・チョンホ)の描いた『青丘図』〜これも南側に
5つの島が描かれているが、実際の鬱陵島の南側には島嶼が無いし、日本側の主張通りなら
南側4km以内に5つの島のなければならないが、実際には一つの島も存在しない。鬱陵島から
常に見える島は竹嶼(竹島)以外に観音島があるが、その距離は鬱陵島周辺からわずか100m
以内である。
これは『青丘図』は正確ではないので信頼できないと言いたいのでしょうか。それならば古地図に鬱陵島の東側に隣接して描かれている于山島はすべて竹島(独島)ではありませんね。
■=金正浩の青丘図が描かれた当時も独島(于山島)が我が国の領土である事を確実に認識
〜これは1834年頃に編集された万機要覧(1808年)の軍政の方を見れば、鬱陵島と于山島は
全て于山国の地とし、ここで于山島が日本が言う松島と明確に記録。
金正浩と同時代に成立した 李圭景(1788-1863)の『五洲衍文長箋散稿・鬱陵島事實辨證説』には倭の松島から蔚珍 まで350里(140km)鬱陵島から蔚珍まで700里(280km)とあります。この時代の朝鮮人が記録した倭の松島が本当に竹島(独島)のことなのか大変疑問です。
http://megalodon.jp/?url=http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/c.html&date=20070225160922
=これは、1711年にパク・ソクチャンの鬱陵島探査の直接的なきっかけとなった安竜福の活動を
通じて明確に判明〜最近(2005年)、安竜福の第二次渡日活動に関する調査の報告書が日本の
隠岐島で発見されたが、その文書には安竜福が朝鮮と鬱陵島、鬱陵島と独島の町を明確に述べ、
日本で『竹島、松島』と言う島が朝鮮国・江原道(カンウォンド)に附属した『鬱陵島、子山島』と記録。
=すなわちここで子山島(于山島)が、鬱陵島の隣にある竹嶼ではない事を更に明確にする事で、
我が国の独島に対する領土意識を確実に立証。
2005年に発見された『元禄九丙子年 朝鮮舟着岸 一巻之覚書』のなかで安竜福らは朝鮮から鬱陵島まで30里(120km)、鬱陵島から松島まで50里(200km)と主張していますが 、実際には朝鮮(蔚珍)から鬱陵島まで140km、鬱陵島から松島(竹島)まで92kmであり事実とはかけ離れています。
http://www.sanin-chuo.co.jp/tokushu/modules/news/article.php?storyid=104297145
また安竜福は朝鮮国江原道蔚珍に属しているはずの『竹島(鬱陵島)』が、朝鮮国江原道東莱に属していると言っています。
『竹嶋記事』では安竜福は鬱陵島の北東に子山島(于山島)があると言っているのですが、全く無視ですね。
(2)『1834年の地図について』
■=2番目の1834年地図は1834年、金正浩(キム・チョンホ)の描いた『青丘図』〜これも南側に
5つの島が描かれているが、実際の鬱陵島の南側には島嶼が無いし、日本側の主張通りなら
南側4km以内に5つの島のなければならないが、実際には一つの島も存在しない。鬱陵島から
常に見える島は竹嶼(竹島)以外に観音島があるが、その距離は鬱陵島周辺からわずか100m
以内である。
これは『青丘図』は正確ではないので信頼できないと言いたいのでしょうか。それならば古地図に鬱陵島の東側に隣接して描かれている于山島はすべて竹島(独島)ではありませんね。
■=金正浩の青丘図が描かれた当時も独島(于山島)が我が国の領土である事を確実に認識
〜これは1834年頃に編集された万機要覧(1808年)の軍政の方を見れば、鬱陵島と于山島は
全て于山国の地とし、ここで于山島が日本が言う松島と明確に記録。
金正浩と同時代に成立した 李圭景(1788-1863)の『五洲衍文長箋散稿・鬱陵島事實辨證説』には倭の松島から蔚珍 まで350里(140km)鬱陵島から蔚珍まで700里(280km)とあります。この時代の朝鮮人が記録した倭の松島が本当に竹島(独島)のことなのか大変疑問です。
http://megalodon.jp/?url=http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/c.html&date=20070225160922
これは メッセージ 15433 (yabutarou01 さん)への返信です.
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