竹島

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『竹島考證』「州」を「洲」に

投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/10/26 21:04 投稿番号: [15104 / 18519]
Tanaka_Kunitaka さん

国立公文書館の竹島関連文書の掲示を有難うございます。『竹島考證』について表題の件を確かめることが出来ました。感謝します。

北澤正誠『竹島考證』(1881)は、明治10(1877)年8月に提出された、坂田諸遠の松島に関する意見書「松島異見」(第拾九号)を収録しています。坂田諸遠は当時、外務省記録局で幕末の外交文書集『続通信全覧』の編纂に携っていました。

「松島異見」は、「松島竹島ノ二島ハ往昔隠岐国ノ管内ニシテ - - 今隠州視聴合記ヲ考フルニ戌亥間行二日一夜有松島又一日程有竹島(割注略)此二島無人之地見高麗如雲州望隱州然則日本之乾地以此洲為限ト見エタレハ -- 」と『隠州視聴合記』を引用していますが、「エムティ出版本」の「日本之乾地以此洲為限」の「洲」は、「州」に後からサンズイを書き加えたように見えます。「国立公文書館本」は誤字などを朱で訂正しており、「洲」には書き加えられた形跡はありませんが、やはり「洲」となっています。

慶応元(1865)年田辺太一が独力で編纂を始めた後、坂田諸遠が主幹となり新政府に引継がれた『続通信全覧』類輯之部38雑「小笠原島開拓再興一件顛末提要」(雄松堂出版, 1988)には、「松島異見」と同様な文章「竹島ハ往昔隠岐國ノ管内ニシテ - - 隠州視聴合記ヲ閲ルニ - - 日本之乾地以此州為限ト見エ - -」がありますが、ここでは「州」です。

『續々群書類從』(国書刊行会, 1906)や『日本庶民生活史料集成』(三一書房, 1972)が活字化した『隠州視聴合記』は、よく知られているように「日本之乾地以此州爲限矣」であり、Tanaka_Kunitaka さんが示された「内閣文庫本」(No.14994)も同様で、「州」の字はその前にある「隠州」「雲州」と同じ書体です。従って、「此洲」となっているのは、『竹島考證』「松島異見」に引用された『隠州視聴合記』だけのようです。

te2222000さん(No.9654)や池内敏氏(「前近代竹島の歴史学的研究序説」『青丘学術論集』25集, 2005)等によって詳しく論じられたように、『隠州視聴合記』の「日本之乾地以此州爲限矣」は、「此州」と書かれていることにより「隠州」を示すと読めます。しかし、「此洲」では「隠州」を示すとは読めません。当時の外務省内には、「隠州」を以って日本西北の地の限りとは、認めたくない人がいたのかも知れません。

Tanaka_Kunitaka さんの『竹島考證』「松島異見」のURLは下記のとおりです(No.15026)。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a343tan1649-1881/42.jpg
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