島根県『フォトしまね』批判3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/10/09 19:55 投稿番号: [14958 / 18519]
このようにホームページは「竹島一件」以降も竹島=独島を日本領と考えていたと断言しました。これに対し『フォトしまね』は、松島(竹島=独島)を「日本の領土」と断定するのではなく、何とか日本領と考えられる余地がわずかでも残されていないかと模索し、こう記しました。
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一方、日本側の主張、見解も究明が必要な課題を抱える。その一つが、鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に、両島が同藩に属さないとした1695年12月25日付の回答だ。
現在の竹島が当時、同藩に属さないと考えられていたとしても、日本領との認識がなかったとは言えず、ましてや朝鮮領とする証明にはならないが、今後検証を深めたい。
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この一文に、松島を何とか日本に有利なように考えたいという「竹島問題研究会」の願望をありありと読みとれますが、この文章には故意か偶然か、誤認があります。文中に「鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に」と書かれてあり、あたかも幕府は「現在の竹島」の存在を知ったうえで鳥取藩に質問したかのような書きぶりですが、これは事実に反します。
当時、幕府は竹島(欝陵島)の存在は知っていても、実は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのでした。そうした歴史的経緯を具体的にみることにします。幕府の質問書を「竹島問題研究会」は現代文で下記のように読みくだしました。
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一 因幡国・伯耆国に附属している竹島は、いつ頃から両国へ附属していたのか。・・・
・・・・
一 竹島のほかに、両国(因幡・伯耆)に附属する島はあるのか。・・・・(注3)
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このように松島(竹島=独島)の名は幕府の質問書に登場せず、鳥取藩の回答書に初めて「竹島、松島、その他、両国(因幡・伯耆)に附属する島はありません(注3)」と書かれました。
松島の名が新たに登場したことで幕府はその島を調査する必要性を感じたのか、さらに松島に関する質問を鳥取藩へ追加したようです。その質問書はまだ発見されていませんが、それに対する鳥取藩の回答書「松島に関する覚書」の方は知られています。そこに松島が下記のように詳細に説明されました。
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鳥取藩が幕府へ提出した「松島」に関する覚書(元禄9<1696>年1月25日)
・・・・
一 福浦より松島へ、80里
一 松島より竹島へ、40里
別紙
一 松島へ伯耆国より、海路約120里あります。
一 松島より朝鮮へは、約80〜90里もあるように聞いています。
一 松島は、何れかの国に附属する島ではないと聞いています。
一 松島へ猟に行っているというのは、竹島へ渡海する時の道筋であるためで、立ち寄って猟をしています。他領(松江藩、浜田藩など)から猟に行っているということは聞いておりません。但し、出雲国、隠岐国の者は、米子の者と同じ舟で行っています。
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これらの書簡のやりとりから幕府が松島を知らなかったことが明白です。ましてや、川上健三氏が主張した幕府の「松島渡海免許」の存在などは論外です。さらには松島は周辺のどの藩にも属していなかったことが明らかです。
言いかえれば、幕府もいずれの藩も松島に領有意識をもっていなかったのでした。それにもかかわらず、どうして松島(竹島=独島)は「日本領との認識がなかったとは言えず」などと言えるのでしょうか。
(つづく)
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一方、日本側の主張、見解も究明が必要な課題を抱える。その一つが、鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に、両島が同藩に属さないとした1695年12月25日付の回答だ。
現在の竹島が当時、同藩に属さないと考えられていたとしても、日本領との認識がなかったとは言えず、ましてや朝鮮領とする証明にはならないが、今後検証を深めたい。
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この一文に、松島を何とか日本に有利なように考えたいという「竹島問題研究会」の願望をありありと読みとれますが、この文章には故意か偶然か、誤認があります。文中に「鬱陵島と現在の竹島が鳥取藩に帰属した時期を問い合わせた江戸幕府に」と書かれてあり、あたかも幕府は「現在の竹島」の存在を知ったうえで鳥取藩に質問したかのような書きぶりですが、これは事実に反します。
当時、幕府は竹島(欝陵島)の存在は知っていても、実は松島(竹島=独島)の存在を知らなかったのでした。そうした歴史的経緯を具体的にみることにします。幕府の質問書を「竹島問題研究会」は現代文で下記のように読みくだしました。
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一 因幡国・伯耆国に附属している竹島は、いつ頃から両国へ附属していたのか。・・・
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一 竹島のほかに、両国(因幡・伯耆)に附属する島はあるのか。・・・・(注3)
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このように松島(竹島=独島)の名は幕府の質問書に登場せず、鳥取藩の回答書に初めて「竹島、松島、その他、両国(因幡・伯耆)に附属する島はありません(注3)」と書かれました。
松島の名が新たに登場したことで幕府はその島を調査する必要性を感じたのか、さらに松島に関する質問を鳥取藩へ追加したようです。その質問書はまだ発見されていませんが、それに対する鳥取藩の回答書「松島に関する覚書」の方は知られています。そこに松島が下記のように詳細に説明されました。
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鳥取藩が幕府へ提出した「松島」に関する覚書(元禄9<1696>年1月25日)
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一 福浦より松島へ、80里
一 松島より竹島へ、40里
別紙
一 松島へ伯耆国より、海路約120里あります。
一 松島より朝鮮へは、約80〜90里もあるように聞いています。
一 松島は、何れかの国に附属する島ではないと聞いています。
一 松島へ猟に行っているというのは、竹島へ渡海する時の道筋であるためで、立ち寄って猟をしています。他領(松江藩、浜田藩など)から猟に行っているということは聞いておりません。但し、出雲国、隠岐国の者は、米子の者と同じ舟で行っています。
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これらの書簡のやりとりから幕府が松島を知らなかったことが明白です。ましてや、川上健三氏が主張した幕府の「松島渡海免許」の存在などは論外です。さらには松島は周辺のどの藩にも属していなかったことが明らかです。
言いかえれば、幕府もいずれの藩も松島に領有意識をもっていなかったのでした。それにもかかわらず、どうして松島(竹島=独島)は「日本領との認識がなかったとは言えず」などと言えるのでしょうか。
(つづく)
これは メッセージ 14957 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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