島根県『フォトしまね』批判2
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/10/09 19:54 投稿番号: [14957 / 18519]
このように、報告書にいう松島を今日の竹島=独島とすることに否定的でした。これは太政官指令についても同様です。同指令の「外一島」は不明であるとしてこう記しました。
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この太政官による審査は、十分とはいえなかった。「竹島外一島」の「一島」が、今
日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。
もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注1)。
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このように下條氏は、太政官が領土外にした「外一島」は竹島=独島ではないと判断しました。その下條座長の見解に反する結論を「竹島問題研究会」が導いたのでしょうか?
どうも、そうではないようです。最近、下條正男氏のほうが自分の見解を180度変えたようです。それを私はこう紹介しました。
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下條氏の論証方法には首をかしげることが多いのですが、今回は驚いたことに、同氏はテレビ番組で「日本の太政官が、竹島は日本の領土ではない、関係がないといっている」と語りました。
その時に述べられた「竹島」は、太政官のいう「竹島」すなわち欝陵島をさすのかなと一瞬思ったのですが、やはりこれは竹島=独島をさします。下條氏は、明治時代に太政官の指令があったので、竹島=独島を日本の固有領土とするのは適切でないといみじくも語ったので間違いありません(注2)。
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こうした論点にかぎらず、下條氏のたび重なる主張変更にはあきれるばかりですが、なぜ主張を変えたのかについては明らかではありません。とかく主張変更は不名誉なことなので、あまり思考錯誤の事実を知られたくないのが人情です。
その主張変更の影響でしょうか、島根県のホームページ「竹島」には「固有領土」の主張を連想させるような記述はみられません。ましてや外務省ホームページのように、大谷・村川両家が「幕府から竹島を拝領していた」などとする途方もない記述はどこにもみられません。
注目点;その4,「竹島一件」以後の松島
島根県のホームページ「竹島」は外務省に比べるとマシなのですが、それでも最新の研究成果が十分反映されていません。それを一部補ったのが『フォトしまね』とみられますが、両者で記述がくいちがっている重要事項があります。「竹島一件」以降の松島(竹島=独島)に関する説明です。
両者の食いちがいを具体的にみることにします。まず、ホームページにはこう書かれました。
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元禄9年(1696年)
その後、江戸幕府は朝鮮との争いのため、元禄9年(1696年)鬱陵島への渡航を禁じ この島を放棄しましたが、竹島については日本の領土と考え渡航を禁じていませんでした。
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(つづく)
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この太政官による審査は、十分とはいえなかった。「竹島外一島」の「一島」が、今
日の竹島を指すのかそうでないのか、判然としないからである。
もしその「一島」が今日の竹島だったとすれば、「本邦関係これ無き」というはずがない。佐田白茅の報告を考察した際と同じ議論で、今日の竹島を日本領とする「書留」がすでにいくつもあったからである(注1)。
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このように下條氏は、太政官が領土外にした「外一島」は竹島=独島ではないと判断しました。その下條座長の見解に反する結論を「竹島問題研究会」が導いたのでしょうか?
どうも、そうではないようです。最近、下條正男氏のほうが自分の見解を180度変えたようです。それを私はこう紹介しました。
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下條氏の論証方法には首をかしげることが多いのですが、今回は驚いたことに、同氏はテレビ番組で「日本の太政官が、竹島は日本の領土ではない、関係がないといっている」と語りました。
その時に述べられた「竹島」は、太政官のいう「竹島」すなわち欝陵島をさすのかなと一瞬思ったのですが、やはりこれは竹島=独島をさします。下條氏は、明治時代に太政官の指令があったので、竹島=独島を日本の固有領土とするのは適切でないといみじくも語ったので間違いありません(注2)。
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こうした論点にかぎらず、下條氏のたび重なる主張変更にはあきれるばかりですが、なぜ主張を変えたのかについては明らかではありません。とかく主張変更は不名誉なことなので、あまり思考錯誤の事実を知られたくないのが人情です。
その主張変更の影響でしょうか、島根県のホームページ「竹島」には「固有領土」の主張を連想させるような記述はみられません。ましてや外務省ホームページのように、大谷・村川両家が「幕府から竹島を拝領していた」などとする途方もない記述はどこにもみられません。
注目点;その4,「竹島一件」以後の松島
島根県のホームページ「竹島」は外務省に比べるとマシなのですが、それでも最新の研究成果が十分反映されていません。それを一部補ったのが『フォトしまね』とみられますが、両者で記述がくいちがっている重要事項があります。「竹島一件」以降の松島(竹島=独島)に関する説明です。
両者の食いちがいを具体的にみることにします。まず、ホームページにはこう書かれました。
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元禄9年(1696年)
その後、江戸幕府は朝鮮との争いのため、元禄9年(1696年)鬱陵島への渡航を禁じ この島を放棄しましたが、竹島については日本の領土と考え渡航を禁じていませんでした。
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(つづく)
これは メッセージ 14956 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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