竹島

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島根県『フォトしまね』批判1

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/10/09 19:53 投稿番号: [14956 / 18519]
   半月城です。

   今年2月、島根県は条例「竹島の日」制定一周年を記念してパンフレット『フォトしまね』No.161号を島根県の全家庭に配布したようです。島根県の取り組み姿勢もさることながら、その内容にも注目すべき点があります。今回はそれについて記したいと思います。

注目点;その1、太政官指令
   注目すべき第一点は、明治政府の最高国家機関である太政官が竹島=独島を日本とは無関係であると宣言した史実を、日本の公共機関では唯一、島根県が認めたことです。『フォトしまね』はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   地籍編纂のため、内務省から1876年に竹島(現在の鬱陵島)に関する紹介を受けた島根県は「山陰一帯ノ西部ニ貫付(所属)スベキ哉」と回答したものの、同省が最終的な判断を仰いだ太政官は、同島と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識を示した。外一島とは、現在の竹島とみられる。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この記述は、外務省のいう「竹島は我が国固有の領土」とする主張を正面から否定するものであることはいうまでもありません。まずはその史実を率直に認めた島根県の勇気に敬意を表したいと思います。
   島根県としても、太政官決定の際には内務省が「版図の取捨は国家の重大事」との認識をもって竹島(欝陵島)と松島(竹島=独島)を慎重に調査したうえで結論を出し、それを太政官が追認しただけに、その史実の重みを認めざるを得なかったようです。


注目点;その2、明治政府外務省の見解
   注目すべき第二点は、明治初期に日本の外務省が松島(竹島=独島)を朝鮮領と判断した史実を島根県が認めたことです。同書はこう記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1870年に、朝鮮視察から帰国した外務省の佐田白茅は「竹島松島 朝鮮附属ニ相成候 始末」という表題の報告を行う。竹島(現在の鬱陵島)だけでなく、松島(現在の竹島)も、朝鮮領になったというわけだ。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   外務省のホームページは、この同省の報告書についてまったくふれていませんが、もちろん外務省はその報告書の存在を知らないわけではありません。同省が編纂した『日本外交文書』にその重要な報告書が掲載されているくらいです。ま、都合の悪い資料には頬かむりしているのでしょうか。


注目点;その3,「竹島問題研究会」と下條座長
  『フォトしまね』は島根県設立の「竹島問題研究会」が中間報告を要約する形で発刊されました。その研究会の座長は、かの拓殖大学の下條正男教授です。
   座長である下條氏の竹島=独島に関する過去の見解は、上記の注目点とは大きく異なるのは周知のとおりです。下條氏は二年前の『竹島は日韓どちらのものか』と題する本で外務省報告書について下記のように記しました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   この(外務省の)報告書で問題になるのは、ここに書かれている松島がどこの島を指しているのか、ということである。
  ・・・・
   この報告の松島が今日の竹島であったとすれば、佐田白茅が「是迄掲載セシ書留モ無之」と記述するはずがない。なぜなら、今日の竹島を指す松島については、「是迄掲載セシ書留」がいくつも存在しているからである(注1)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(つづく)
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