>Re: 石島は観音島(追加)
投稿者: ararenotomo 投稿日時: 2006/07/10 22:33 投稿番号: [14727 / 18519]
次にNo.14672の疑問点にお答えいたします。
>もしも于山島が竹島(独島)であるとすればいくつかの疑問が生じます。
>1.なぜ竹島が「蔚珍之東海に一島が有り」となるのか。「二島が有り」となるべきではないか。
上記の文で「于山島が竹島(独島)であるとすれば」なぜ「疑問が生じる」のかよく分りません。「蔚珍(半島東岸の地名)の東(の)海(上)に一(つの)島が有り、曰く鬱陵である。」は、全くその通りで、疑問が生じる余地はないと思いますが。
>2.付属の小六島に竹島(独島)が含まれるのは自然であるか。また「最著」というのは妥当か。
視認できる島を付属とするのは自然でしょう。付属の小六島中で、竹島(独島)は最も遠くに離れて在り、竹島(竹嶼)は最も大きいですから、「最著」というのは妥当と思います。
>3.なぜ、竹島(独島)についての言及が一切無いか。もしも竹島であれば小六島の中でもかなり特殊であり、当然に何らかの言及はあっていいはず。
竹島(独島)は鬱陵島から最も遠く離れているので、「最著」というのも一つの言及と思いますが、付属の小六島中に、竹島(独島)が含まれるのは当然であり、何ら特殊ではなかったから、ことさら言及しなかったのではないでしょうか。
>私の意見の傍証として大韓帝国学部編『大韓全図』『大韓輿地図』(ともに1899年)もあげられます。
ahirutousagi2さんの意見は、Nos.3290, 14678なども参考にして、『大韓全図』の于山島=観音島である、ということで答えさせて頂きます。
観音島は鬱陵島から100m程しか離れておらず、時には観音崎とも記されました。『大韓全図』の于山島の位置は鬱陵島からかなり離れていますから、私はこの于山島を観音島とは思いません。しかし、どうせ不正確な地図ですから、観音島、竹島(竹嶼)、或いは獨島とするのも宜しいのではないかと思っています。
『大韓全図』の于山島が鬱陵島からどれほど離れているかを計算してみました。『大韓全図』で鬱陵島-于山島の距離を1とすると鬱陵島-朝鮮半島の距離は5になります。鬱陵島-朝鮮半島間は140kmとされていますから、『大韓全図』の于山島は鬱陵島から28km離れて描かれていることになります。なお、『大韓輿地図』では鬱陵島と朝鮮半島の距離が『大韓全図』より離れているので、同様な計算をすると7.8kmになります。
>禹用鼎の調査における于山島=竹島(独島)の何らかの客観的な根拠をお教えいただければ幸いです。
下條正男氏(『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004)が書いておられるように、朝鮮社会には「于山島は日本の松島である」とする常識が拡散していきました。この皇城新聞の記事は、「于山島は竹島(独島)であり鬱陵島附屬の島である」という当時の朝鮮社会の常識を明示したものと思います。
しかし于山島は、古い文献記録の中には、鬱陵島或いは竹島(chuk-do)を表しているとしか読めない記述もあります。それ故、1900年5月大韓帝国政府から派遣されて鬱陵島を調査した禹用鼎は、このような曖昧な「于山島」を、島自体の形状から鬱陵漁民の共通認識になっていた「石島」という名に変え、勅令41号はそれを採用しました。
>もしも于山島が竹島(独島)であるとすればいくつかの疑問が生じます。
>1.なぜ竹島が「蔚珍之東海に一島が有り」となるのか。「二島が有り」となるべきではないか。
上記の文で「于山島が竹島(独島)であるとすれば」なぜ「疑問が生じる」のかよく分りません。「蔚珍(半島東岸の地名)の東(の)海(上)に一(つの)島が有り、曰く鬱陵である。」は、全くその通りで、疑問が生じる余地はないと思いますが。
>2.付属の小六島に竹島(独島)が含まれるのは自然であるか。また「最著」というのは妥当か。
視認できる島を付属とするのは自然でしょう。付属の小六島中で、竹島(独島)は最も遠くに離れて在り、竹島(竹嶼)は最も大きいですから、「最著」というのは妥当と思います。
>3.なぜ、竹島(独島)についての言及が一切無いか。もしも竹島であれば小六島の中でもかなり特殊であり、当然に何らかの言及はあっていいはず。
竹島(独島)は鬱陵島から最も遠く離れているので、「最著」というのも一つの言及と思いますが、付属の小六島中に、竹島(独島)が含まれるのは当然であり、何ら特殊ではなかったから、ことさら言及しなかったのではないでしょうか。
>私の意見の傍証として大韓帝国学部編『大韓全図』『大韓輿地図』(ともに1899年)もあげられます。
ahirutousagi2さんの意見は、Nos.3290, 14678なども参考にして、『大韓全図』の于山島=観音島である、ということで答えさせて頂きます。
観音島は鬱陵島から100m程しか離れておらず、時には観音崎とも記されました。『大韓全図』の于山島の位置は鬱陵島からかなり離れていますから、私はこの于山島を観音島とは思いません。しかし、どうせ不正確な地図ですから、観音島、竹島(竹嶼)、或いは獨島とするのも宜しいのではないかと思っています。
『大韓全図』の于山島が鬱陵島からどれほど離れているかを計算してみました。『大韓全図』で鬱陵島-于山島の距離を1とすると鬱陵島-朝鮮半島の距離は5になります。鬱陵島-朝鮮半島間は140kmとされていますから、『大韓全図』の于山島は鬱陵島から28km離れて描かれていることになります。なお、『大韓輿地図』では鬱陵島と朝鮮半島の距離が『大韓全図』より離れているので、同様な計算をすると7.8kmになります。
>禹用鼎の調査における于山島=竹島(独島)の何らかの客観的な根拠をお教えいただければ幸いです。
下條正男氏(『竹島は日韓どちらのものか』文春新書、2004)が書いておられるように、朝鮮社会には「于山島は日本の松島である」とする常識が拡散していきました。この皇城新聞の記事は、「于山島は竹島(独島)であり鬱陵島附屬の島である」という当時の朝鮮社会の常識を明示したものと思います。
しかし于山島は、古い文献記録の中には、鬱陵島或いは竹島(chuk-do)を表しているとしか読めない記述もあります。それ故、1900年5月大韓帝国政府から派遣されて鬱陵島を調査した禹用鼎は、このような曖昧な「于山島」を、島自体の形状から鬱陵漁民の共通認識になっていた「石島」という名に変え、勅令41号はそれを採用しました。
これは メッセージ 14672 (ahirutousagi2 さん)への返信です.
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