安龍福の于山島像、竹嶼編1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/03/26 16:50 投稿番号: [12625 / 18519]
半月城です。あるメーリングリストに書いた文を転載します。
RE:[zainichi:29348]
> 安龍福の独島の地理的認識は,日本に連行されてくるまでは あいまいだっただろうということが,すなわち それが「辺境」であったということをしめしていると おもうのです。
そのとおりだと思います。安龍福は1693年に米子の大谷・村川家によって拉致されまでは伝聞によって于山島を知るのみでした。そのことは安が拉致された時の次の供述から明らかです。
「この度 参候 島(欝陵島)より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候。終に参りたる事はこれ無く候。大方 路法一日路余もこれ有るべく候(注1)」
安龍福は、于山島に行ったことはないが、その島が欝陵島から船で一日の所にあるということを伝聞で知っていたと供述しました。そのような距離にある島は竹島=独島しか存在しないので、少なくとも伝聞にいう島は竹島=独島だといえます。
また、この伝聞は『輿地志』(1656)の逸文「鬱陵、于山、皆于山国の地。于山はすなわち倭のいわゆる松島なり」にも一脈通じます。
その伝聞とは別に、安龍福が于山島と信じて目撃した島が竹島=独島かどうかが一時問題にされました。下條氏はこう記しました。
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安龍福が「ようやく二度見た」という于山島は、どの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ。
安龍福らが和布(わかめ)採りや鮑(あわび)獲りに従事していた海域は、鬱陵島の海岸線に沿って、島の東南部から時計回り(ママ)で北部までに限定されていた。この状況で、鬱陵島で東北に島が見えるという場所は、今日の苧洞付近である。苧洞辺りからは東北の方角に、竹嶼という島が見える(注1)。
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(つづく)
RE:[zainichi:29348]
> 安龍福の独島の地理的認識は,日本に連行されてくるまでは あいまいだっただろうということが,すなわち それが「辺境」であったということをしめしていると おもうのです。
そのとおりだと思います。安龍福は1693年に米子の大谷・村川家によって拉致されまでは伝聞によって于山島を知るのみでした。そのことは安が拉致された時の次の供述から明らかです。
「この度 参候 島(欝陵島)より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候。終に参りたる事はこれ無く候。大方 路法一日路余もこれ有るべく候(注1)」
安龍福は、于山島に行ったことはないが、その島が欝陵島から船で一日の所にあるということを伝聞で知っていたと供述しました。そのような距離にある島は竹島=独島しか存在しないので、少なくとも伝聞にいう島は竹島=独島だといえます。
また、この伝聞は『輿地志』(1656)の逸文「鬱陵、于山、皆于山国の地。于山はすなわち倭のいわゆる松島なり」にも一脈通じます。
その伝聞とは別に、安龍福が于山島と信じて目撃した島が竹島=独島かどうかが一時問題にされました。下條氏はこう記しました。
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安龍福が「ようやく二度見た」という于山島は、どの辺りにあったのだろうか。鬱陵島の「北東」にあると証言しているところからすると、この于山島は今日の竹島とは無縁である。今日 領有権が争われている竹島は、鬱陵島の東南に位置しているからだ。
安龍福らが和布(わかめ)採りや鮑(あわび)獲りに従事していた海域は、鬱陵島の海岸線に沿って、島の東南部から時計回り(ママ)で北部までに限定されていた。この状況で、鬱陵島で東北に島が見えるという場所は、今日の苧洞付近である。苧洞辺りからは東北の方角に、竹嶼という島が見える(注1)。
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(つづく)
これは メッセージ 12595 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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