安龍福の于山島像1
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/03/21 09:58 投稿番号: [12595 / 18519]
半月城です。あるメーリングリストに書いた文をすこし修正して転載します。
Re:[zainichi:29322]
> 安龍福は 日本で「松島」とよんでいる島が朝鮮領だと主張したらしいけれども,逆に,それが独島であると朝鮮政府が わかっていたのかどうか。安龍福も,どこにある島なのか,はっきり わかっていないまま,日本で勝手に名前をつけている島が あるので,それは朝鮮の文献にある于山島であると主張したのではないかと おもうし,・・・
この文を読むと、下条正男氏の言をほうふつとさせます。同じ「竹島日本領派」の塚本氏ですら、安龍福のいう于山島および松島は今日の竹島=独島とするのが妥当であるとしてこう記しました。
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安龍福は前述のとおり元禄6年に日本へ連れ帰られているが、同人を連れ返った船は松島(今日の竹島)に立ち寄っている。したがって、同人は記録上今日の竹島に赴いた最初の朝鮮人ということになる。
同人はその際 今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然であるが、そうであれば後に同人が「松島はすなわち于山である」と述べたのは、この時の体験に鬱陵島・于山島があるという朝鮮における伝承を当てはめた結果であると考えられる。
すなわち、朝鮮古文献にみえる于山(島)はその実は欝陵島にあった于山(国)に由来する観念上の存在であったが、安龍福は朝鮮人として初めて松島(今日の竹島)を実見し、鬱陵島以外に島があるとすれば于山島であると考えたものと思われる(注1)。
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ここで朝鮮王朝の官撰書にみられる于山島の記述がすべて「観念上の存在」であったかどうかはひとまず置くことにして、安龍福が竹島=独島を実際に見たという塚本氏の見解は妥当と思われます。しかし、くだんの下條正男氏はかつてこう記しました。
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欝陵島の北東に位置する「竹嶼」を于山島と認識していた安龍福は、(元禄6年)欝陵島の東南の地点で拉致され、そこから隠岐島に向う船上で島影を目撃したため、夕闇の中の隠岐島を「頗(すこぶ)る大」きな于山島と思いこんだのであろう。
実際に隠岐島の面積は、欝陵島の4.7倍程度であったからだ。こうして隠岐島を于山島と誤認した安龍福は、「(今日の)竹島は朝鮮領の于山島である」と供述したのである(注2)。
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下條氏は、安龍福のいう于山島は竹嶼ないしは隠岐島だとして、頭から于山島が竹島=独島であった可能性を度外視しているようです。
かねてより安龍福の供述には虚偽が多いと主張していた下條氏ですが、それにもかかわらず「すこぶる大」という供述を無批判にそのまま採用しました。そのうえで、そのような大きさの島は隠岐島しか実在しないという理由で、安龍福は「隠岐島を于山島と誤認した」という短絡的な結論をだしたのでした。
これに対し塚本氏は「すこぶる大」という安の供述を誇張として排除したのか、「同人はその際今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然である」という結論を導いたのでした。
安龍福の供述は、基本的に手柄話や自慢話のたぐいであり、誇張や虚偽が多いので、それらを検証して裏づけのある供述を採用するのが研究者本来の姿です。その基本が下條氏には欠けているのではないでしょうか?
下條氏は口癖のように韓国の学者を「我田引水的 文献解釈」と批判していたのですが、はたして下條氏自身はその批判に当てはまらないのでしょうか? 具体的にいうと「すこぶる大」という供述を引用したのは「我田引水的 文献解釈」ではないでしょうか。
(つづく)
Re:[zainichi:29322]
> 安龍福は 日本で「松島」とよんでいる島が朝鮮領だと主張したらしいけれども,逆に,それが独島であると朝鮮政府が わかっていたのかどうか。安龍福も,どこにある島なのか,はっきり わかっていないまま,日本で勝手に名前をつけている島が あるので,それは朝鮮の文献にある于山島であると主張したのではないかと おもうし,・・・
この文を読むと、下条正男氏の言をほうふつとさせます。同じ「竹島日本領派」の塚本氏ですら、安龍福のいう于山島および松島は今日の竹島=独島とするのが妥当であるとしてこう記しました。
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安龍福は前述のとおり元禄6年に日本へ連れ帰られているが、同人を連れ返った船は松島(今日の竹島)に立ち寄っている。したがって、同人は記録上今日の竹島に赴いた最初の朝鮮人ということになる。
同人はその際 今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然であるが、そうであれば後に同人が「松島はすなわち于山である」と述べたのは、この時の体験に鬱陵島・于山島があるという朝鮮における伝承を当てはめた結果であると考えられる。
すなわち、朝鮮古文献にみえる于山(島)はその実は欝陵島にあった于山(国)に由来する観念上の存在であったが、安龍福は朝鮮人として初めて松島(今日の竹島)を実見し、鬱陵島以外に島があるとすれば于山島であると考えたものと思われる(注1)。
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ここで朝鮮王朝の官撰書にみられる于山島の記述がすべて「観念上の存在」であったかどうかはひとまず置くことにして、安龍福が竹島=独島を実際に見たという塚本氏の見解は妥当と思われます。しかし、くだんの下條正男氏はかつてこう記しました。
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欝陵島の北東に位置する「竹嶼」を于山島と認識していた安龍福は、(元禄6年)欝陵島の東南の地点で拉致され、そこから隠岐島に向う船上で島影を目撃したため、夕闇の中の隠岐島を「頗(すこぶ)る大」きな于山島と思いこんだのであろう。
実際に隠岐島の面積は、欝陵島の4.7倍程度であったからだ。こうして隠岐島を于山島と誤認した安龍福は、「(今日の)竹島は朝鮮領の于山島である」と供述したのである(注2)。
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下條氏は、安龍福のいう于山島は竹嶼ないしは隠岐島だとして、頭から于山島が竹島=独島であった可能性を度外視しているようです。
かねてより安龍福の供述には虚偽が多いと主張していた下條氏ですが、それにもかかわらず「すこぶる大」という供述を無批判にそのまま採用しました。そのうえで、そのような大きさの島は隠岐島しか実在しないという理由で、安龍福は「隠岐島を于山島と誤認した」という短絡的な結論をだしたのでした。
これに対し塚本氏は「すこぶる大」という安の供述を誇張として排除したのか、「同人はその際今日の竹島を見、その名称(松島)も聞いたと考えるのが自然である」という結論を導いたのでした。
安龍福の供述は、基本的に手柄話や自慢話のたぐいであり、誇張や虚偽が多いので、それらを検証して裏づけのある供述を採用するのが研究者本来の姿です。その基本が下條氏には欠けているのではないでしょうか?
下條氏は口癖のように韓国の学者を「我田引水的 文献解釈」と批判していたのですが、はたして下條氏自身はその批判に当てはまらないのでしょうか? 具体的にいうと「すこぶる大」という供述を引用したのは「我田引水的 文献解釈」ではないでしょうか。
(つづく)
これは メッセージ 12578 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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