竹島

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

安龍福の于山島像2

投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/03/21 09:59 投稿番号: [12596 / 18519]
   そのような手法は後日どこかで惨めな結果を招くものです。上記の主張と矛盾するような一節が、下條氏の著書『竹島は日韓どちらのものか』に書かれました。そこにはこう記されました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  (元禄9年)安龍福をはじめ 僧 雷憲、劉日夫、李仁成ら11人は、それより先の5月20日、舟で隠岐島に着くと出雲藩の代官に、自分たちは竹嶋(鬱陵島)へ渡海した朝鮮舟32艘の内の1艘で、「伯耆国(鳥取藩)へ訴訟ノ為 渡来」したと伝えていた。
  ・・・
   安龍福はこのとき、「鬱陵 于山両島監税」という実在しない官職を僭称していた。安龍福としては、「鬱陵 于山両島」と称することで、鬱陵島と于山島を管轄する朝鮮の官吏としてやってきた、と言いたかったのだろう。つまり、鬱陵島と于山島も朝鮮領であるという主張である。
   鬱陵島は理解ができるとしても、問題は于山島である。
   先に『太宗実録』に、太宗17(1417)年2月、于山島から島民を引き揚げることになった、と記されていると述べたが、そこに出てくる于山島は竹嶼とも称される鬱陵島の近傍の小島である。
   しかしここで安龍福が言っている于山島は、その竹嶼のことではない。では、どこを指していたのか?   じつは、今日の竹島なのである。安龍福は、于山島を今日の竹島と思い込み、鬱陵島とともに朝鮮領だと主張したのである(注3)。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この本を読んで、私はわが目を疑いました。下條氏はいつの間にか、安龍福のいう于山島を「隠岐島」から「今日の竹島」に変えていたのでした。一事が万事、下條氏はこれまでたびたび自説をいとも簡単に変えてきた人ですが、それにもかかわらず世間の受けはいいようです。島根県では竹島=独島問題の顧問といってもいいくらいです。
   下條氏が自説を大きく変更した理由はわかりませんが、ともかく今日では安龍福のいう于山島が今日の竹島=独島であることを疑う研究者は皆無のようです。これは、近年、隠岐島で発見された「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」により一層確実なものとなりました。その中において隠岐の代官は安龍福の言い分をこう記録しました。

        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.安龍福がいうには、自分が乗ってきた船の11人は伯耆へ来て、鳥取藩の伯耆守様へ
  「おことわりの儀」があってやって来たという。順風満帆で隠岐へ寄ったという。伯耆
  へ渡海する予定である。
   5月15日、竹島を出港、同じ日に松島へ着く。16日に松島を出て18日の朝、隠岐の西
村の磯へ着く。20日、大久村へ入港という。

1.松島は、江原道のうち子山という島があるが、これを松島というそうである。これも
  朝鮮八道の地図に記されているという。(注4)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   この資料により、安龍福が松島(竹島=独島)すなわち子山(于山)島で一夜をすごしたことが明確になりました。安の于山島像を隠岐島とする下條氏の説はこっぱ微塵に崩壊したといえます。下條氏はこの資料の存在をいち早く知って、あるいは自説を変えたのかも知れません。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)