安龍福の于山島像3
投稿者: ban_wol_seong 投稿日時: 2006/03/21 10:01 投稿番号: [12597 / 18519]
Re:[zainichi:29322]
>しかし,一方,朝鮮政府が この「竹島一件」のとき以来,国家意志として独島の領有を意識したのかというと,そのことは あやしいと 思っています。
于山島を確認したのは安龍福だけではありませんでした。安龍福の拉致がきっかけになって起きた「竹島一件」の最中、朝鮮王朝の蔚陵(欝陵)島調査団も竹島=独島を確認し「蔚陵島事蹟」としてこう記録しました。
「(蔚陵島の中峰から)西側を眺めると大関嶺のくねくねとした姿が見え、東側を眺めると海の中に一つの島がみえるが、はるかに辰(東南東)方向に位置して、その大きさは蔚島の三分の一未満で(距離は)三百余里(120km)に過ぎない(注5)」
張漢相は欝陵島からはるか東に存在する島を確認したのですが、これは朝鮮王朝の記録『世宗実録』の記述を裏づけるものでした。同書の地理志(1454)には、武陵島と于山島は天気が清明ならお互いに望み見ることができると記されました。
同書の武陵島は欝陵島をさしますが、そこから天気が清明な時にだけ望める島は現在の竹島=独島以外ありません。したがって、于山島は竹島=独島をさします。すくなくとも地理志の記述だけは、于山島が単に「観念上の存在」でなかったことを示しています。
張漢相が竹島=独島を確認したことや、安龍福の備辺司における供述などが元になって、日本の松島は朝鮮領の子山島(于山島)であるという認識が朝鮮で強固になりました。それ以前にも、そうした認識は国家が編纂した図書である『東国文献備考』(1770)にこう記されました。
「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である(注6)」
この見解は『萬機要覧』、『増補文献備考』など数多くの官撰史書に繰り返し記述されました。国家として竹島=独島に対する領有意識を明確にしたといえます。ただし、官撰図書以外の雑多な史料では竹島=独島に対する認識がかならずしも正しくない図書がありますが、それはさして重要ではありません。領有権問題において官撰史書の認識が優先することはいうまでもありません。
(注1)塚本孝「竹島領有問題の経緯(第2版)」『調査と情報』第289号,P3,1996
(注2)下條正男「竹島論争の問題点」『現代コリア』P32,1998年7,8月号
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,P65,2004
(注4)「元禄九丙子年 朝鮮舟 着岸一巻之覚書」原文
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/an_yongbok.pdf
読み下し文(一部)は半月城通信<新発見史料「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm113.html#No.845
解説文は、内藤正中「隠岐の安龍福」『北東アジア文化研究』第22号,2005
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/naitou2005B.pdf
(注5)宋炳基『欝陵島と獨島』(韓国語)檀国大学出版部、P42,1999
訳文は、内藤浩之訳「朝鮮後期の鬱陵島経営」『北東アジア文化研究』第10号,1999
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/naitou_h1999.pdf
(注6)半月城通信<「竹島一件」後の于山島認識>
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.689
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
>しかし,一方,朝鮮政府が この「竹島一件」のとき以来,国家意志として独島の領有を意識したのかというと,そのことは あやしいと 思っています。
于山島を確認したのは安龍福だけではありませんでした。安龍福の拉致がきっかけになって起きた「竹島一件」の最中、朝鮮王朝の蔚陵(欝陵)島調査団も竹島=独島を確認し「蔚陵島事蹟」としてこう記録しました。
「(蔚陵島の中峰から)西側を眺めると大関嶺のくねくねとした姿が見え、東側を眺めると海の中に一つの島がみえるが、はるかに辰(東南東)方向に位置して、その大きさは蔚島の三分の一未満で(距離は)三百余里(120km)に過ぎない(注5)」
張漢相は欝陵島からはるか東に存在する島を確認したのですが、これは朝鮮王朝の記録『世宗実録』の記述を裏づけるものでした。同書の地理志(1454)には、武陵島と于山島は天気が清明ならお互いに望み見ることができると記されました。
同書の武陵島は欝陵島をさしますが、そこから天気が清明な時にだけ望める島は現在の竹島=独島以外ありません。したがって、于山島は竹島=独島をさします。すくなくとも地理志の記述だけは、于山島が単に「観念上の存在」でなかったことを示しています。
張漢相が竹島=独島を確認したことや、安龍福の備辺司における供述などが元になって、日本の松島は朝鮮領の子山島(于山島)であるという認識が朝鮮で強固になりました。それ以前にも、そうした認識は国家が編纂した図書である『東国文献備考』(1770)にこう記されました。
「輿地志がいうには、鬱陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島である(注6)」
この見解は『萬機要覧』、『増補文献備考』など数多くの官撰史書に繰り返し記述されました。国家として竹島=独島に対する領有意識を明確にしたといえます。ただし、官撰図書以外の雑多な史料では竹島=独島に対する認識がかならずしも正しくない図書がありますが、それはさして重要ではありません。領有権問題において官撰史書の認識が優先することはいうまでもありません。
(注1)塚本孝「竹島領有問題の経緯(第2版)」『調査と情報』第289号,P3,1996
(注2)下條正男「竹島論争の問題点」『現代コリア』P32,1998年7,8月号
(注3)下條正男『竹島は日韓どちらのものか』文春新書,P65,2004
(注4)「元禄九丙子年 朝鮮舟 着岸一巻之覚書」原文
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/shisho_jpn/an_yongbok.pdf
読み下し文(一部)は半月城通信<新発見史料「朝鮮舟 着岸一巻之覚書」>
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm113.html#No.845
解説文は、内藤正中「隠岐の安龍福」『北東アジア文化研究』第22号,2005
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/naitou2005B.pdf
(注5)宋炳基『欝陵島と獨島』(韓国語)檀国大学出版部、P42,1999
訳文は、内藤浩之訳「朝鮮後期の鬱陵島経営」『北東アジア文化研究』第10号,1999
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/naitou_h1999.pdf
(注6)半月城通信<「竹島一件」後の于山島認識>
http://www.han.org/a/half-moon/hm094.html#No.689
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
これは メッセージ 12596 (ban_wol_seong さん)への返信です.
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