Re: 太政官指令と江戸時代の松島領有意識
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/01/22 01:13 投稿番号: [12468 / 18519]
>渡辺洪基が松島を当然日本領と考えたのは、「竹島一件によって竹島は朝鮮領となったが、それ以外の島は日本領である」という認識に基くように思います。
たしかに渡辺は、
「彼竹島なる者は朝鮮の蔚陵島とし幕府偸安の議遂に彼に委す故に此所謂松島なる者竹島なれは彼に属し若竹島以外に在る松島なれは我に属せさるを得さるも之を決論する者なし(ひらがな→原文カタカナ, 竹島考証, p.189)」
としていますので、そういう一面もあるかと思いますが、私が距離の問題が根拠となりうることについて渡辺に通じるとしたのは次のような記述によっています。
「我国と朝鮮との関係を論すれば旧幕府無事を好むより竹島を以て唯彼地図に蔚陵島と均しきと其地の遠近を以て朝鮮に譲与せりと雖も松島竹島二島あり松島は竹島より我近き方にあれば日本に属し朝鮮又異論ある能はず(p.198-199)」
「右竹島之外に松島なる者ありて我近い所にあらは既に竹島日本人行き葛藤を生せしを見れは其島より近き松島へは必らす行きたる人なしと云ふべからず去れは竹島と別物ならは因隠石等(?)之国に帰せさるを得す(p.262-263)」
>仮に竹島、松島、リアンクール岩の3島が存在すると認識したのであれば、松島とリアンクール岩を日本領とするのが渡辺洪基の考え方に沿うのではないでしょうか。
竹島考証はずいぶんと前に読んだのであまり細かいところまで記憶になく、またコピーが手元にあるのですが見直すにしてもどうも古い文書を読むのは苦手で、すらすらと読むというわけにも行きません。
間違っていたら恐縮ですが、渡辺は基本的には竹島=鬱陵島、松島=「ホル子ツトロツクス(リアンクール岩)」と正確な推測を行っていたと理解しています。そして、三島認識であったというよりははっきりとしない竹島・松島を明らかにするための調査を主張したのではなかったでしょうか。
いずれにせよ、渡辺の主張はさきに示したように「松島は竹島より我近き方にあれば日本に属し朝鮮又異論ある能はず」という感じではないでしょうか。
>「無頓着、あるいはのちの調査を待った」というのは、「日本領という明確な認識が無かった」ということだと私には思えるのですが、アヒルさんの考えられているニュアンスではどうなのでしょうか?
同じようなものではあるのですが、無頓着としたのは数々の地図が存在する中で当時の陸軍と文部省の地図は鬱陵島あたりに竹島・松島を記しており、リアンクール岩は示していません(勝海舟の地図のようにリアンクール岩を示した地図があるのですが)。もとより岩程度の存在であって必ずしも所属を云々する必要を認めていなかった可能性を念頭に置きました。
のちの調査を待ったというのはさきの渡辺洪基のように距離的に鬱陵島よりも近い島は日本に属するが詳細は調査を待たなければならない、というような感じで考え得ることを念頭に置きました。
さきに引用したような渡辺の「竹島なる者は朝鮮の蔚陵島とし幕府偸安の議遂に彼に委す故に」にもうかがえるような位置的に鬱陵島までが朝鮮の地であるとの地理的理解が太政官の判断にもあったのではないか、そして、まさに竹島と松島としてアルゴノート・ダジュレーを想定したと見ることができるのではないかと思っています。
たしかに渡辺は、
「彼竹島なる者は朝鮮の蔚陵島とし幕府偸安の議遂に彼に委す故に此所謂松島なる者竹島なれは彼に属し若竹島以外に在る松島なれは我に属せさるを得さるも之を決論する者なし(ひらがな→原文カタカナ, 竹島考証, p.189)」
としていますので、そういう一面もあるかと思いますが、私が距離の問題が根拠となりうることについて渡辺に通じるとしたのは次のような記述によっています。
「我国と朝鮮との関係を論すれば旧幕府無事を好むより竹島を以て唯彼地図に蔚陵島と均しきと其地の遠近を以て朝鮮に譲与せりと雖も松島竹島二島あり松島は竹島より我近き方にあれば日本に属し朝鮮又異論ある能はず(p.198-199)」
「右竹島之外に松島なる者ありて我近い所にあらは既に竹島日本人行き葛藤を生せしを見れは其島より近き松島へは必らす行きたる人なしと云ふべからず去れは竹島と別物ならは因隠石等(?)之国に帰せさるを得す(p.262-263)」
>仮に竹島、松島、リアンクール岩の3島が存在すると認識したのであれば、松島とリアンクール岩を日本領とするのが渡辺洪基の考え方に沿うのではないでしょうか。
竹島考証はずいぶんと前に読んだのであまり細かいところまで記憶になく、またコピーが手元にあるのですが見直すにしてもどうも古い文書を読むのは苦手で、すらすらと読むというわけにも行きません。
間違っていたら恐縮ですが、渡辺は基本的には竹島=鬱陵島、松島=「ホル子ツトロツクス(リアンクール岩)」と正確な推測を行っていたと理解しています。そして、三島認識であったというよりははっきりとしない竹島・松島を明らかにするための調査を主張したのではなかったでしょうか。
いずれにせよ、渡辺の主張はさきに示したように「松島は竹島より我近き方にあれば日本に属し朝鮮又異論ある能はず」という感じではないでしょうか。
>「無頓着、あるいはのちの調査を待った」というのは、「日本領という明確な認識が無かった」ということだと私には思えるのですが、アヒルさんの考えられているニュアンスではどうなのでしょうか?
同じようなものではあるのですが、無頓着としたのは数々の地図が存在する中で当時の陸軍と文部省の地図は鬱陵島あたりに竹島・松島を記しており、リアンクール岩は示していません(勝海舟の地図のようにリアンクール岩を示した地図があるのですが)。もとより岩程度の存在であって必ずしも所属を云々する必要を認めていなかった可能性を念頭に置きました。
のちの調査を待ったというのはさきの渡辺洪基のように距離的に鬱陵島よりも近い島は日本に属するが詳細は調査を待たなければならない、というような感じで考え得ることを念頭に置きました。
さきに引用したような渡辺の「竹島なる者は朝鮮の蔚陵島とし幕府偸安の議遂に彼に委す故に」にもうかがえるような位置的に鬱陵島までが朝鮮の地であるとの地理的理解が太政官の判断にもあったのではないか、そして、まさに竹島と松島としてアルゴノート・ダジュレーを想定したと見ることができるのではないかと思っています。
これは メッセージ 12467 (te2222000 さん)への返信です.
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