竹島

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Re: 高句麗の竹島(鬱陵島)

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/12/25 20:12 投稿番号: [12379 / 18519]
   半月城です。

   Re:12370,te2222000さん,
>   私は、村川の船は竹島の西方に存在する高句麗の海域に流され、隠岐の港ではなく、最寄の朝鮮の港に入ったと考えます。

   そうした史実があったようです。それを池内敏氏は「寛永14(1637)年に漂流した竹島渡海船が村川市兵衛船だけであった(注1)」と記しました。
   漂流先がどこかは明記していないのですが、大谷船が朝鮮へ漂流した事例を考えると、村川船もやはり朝鮮へ漂流したものと思われます。その史実が焼火山縁起につながったとすると、『隠州視聴合記』にある「たちまち漁火がみえた」津は焼火山付近の津というより、高句麗の津であると解釈したほう適切に思えます。また、漂流の時間的な経過からもつじつまがあいそうなので、そのように解釈を訂正します。
   しかし、そのように訂正しても、斉藤豊仙は異国である竹島(鬱陵島)を漠然と高句麗の海域にあると考えていたのではないだろうかという私の考えに変わりありません。

   つぎに、焼火山縁起が神社の古文書にあったかどうかですが、おそらく縁起は古文書を写したというより史実の伝承を書いたものだろうと想像されます。

   Re:12364,
>したがって『朱印を賜り』の『朱印』は朱印船の朱印状のことではない」という主張の方が説得力があります。

   斉藤豊仙のような地方の下級武士にとって「朱印を賜った船」の朱印から朱印船以外にどんな連想が可能でしょうか?   朱印を発行する幕府の役人ならあれこれ思いつくでしょうが、斉藤豊仙の立場では朱印船を連想したと理解するのが最も自然だと思います。

>次に「すこしは吟味して」という表現は、随分曖昧な表現です。思うに半月城さんは以下のように言いたいのでしょうか。
・異国と認識していない島への渡航に朱印という言葉を使わない程度には、吟味した
・実際には老中奉書であるものを朱印と書く程度にしか、吟味していない

   これには同意します。

>ついでに、次も加えていいかもしれませんね。
・交易を目的としていない船を朱印船と考える程度にしか、吟味していない

  「交易」の用語は意味がすこし狭かったかも知れません。斉藤は、ともかく異国へ行って異国の物を持ち帰るのは、朱印船にしか許されないだろうくらいには考えていたのではないでしょうか。

(注1)池内敏「竹島渡海と鳥取藩」『鳥取地域史研究』第1号,1999,P38
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/ikeuchi1999.pdf

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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