『隠岐国古記』による「日本の西北」解釈1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/11/13 15:58 投稿番号: [12290 / 18519]
半月城です。
まだ『隠州視聴合記』にある「日本之乾 以此州為限矣」の解釈をめぐって未練がましく議論がつづいているようです。
te2222000さん、No.12275
>「蛸木浦の節の『此州』は隠州ではなく松島を指す可能性もゼロではない。そして、それと同程度の可能性で『以此州為限矣』の『此州』が竹島を指すこともあり得る」
古来、松島(竹島=独島)が日本の領土であったとする権威ある史料がほとんどないだけに、藩命を受けて編纂した『隠州視聴合記』(注6)に書かれた「日本の乾(西北)の限界」が隠州か、あるいは松島・竹島かという論点はきわめて重要です。
これは、ややもすると日本の竹島「固有領土」説の死活問題にかかわるだけに、「可能性もゼロではない」などと譲歩したくなる気持ちだけはお察しします。
史料は、下條正男氏のように恣意的に読めばいかなる解釈も可能ですが、それは我田引水的な自慰行為にすぎません(注1)。もっともそうした曲解が日本ではもてはやされ、田中邦貴氏のホームページなどに引用されたりするようです。
問題の「此州」について『大日本史』(注7)が松島・竹島とは解釈していないことはすでに紹介したとおりです(注2)。それに加えて、池内敏氏が『隠州視聴合記』の徹底分析をとおして「此州」は隠州であり、松島・竹島とは解釈できないこともすでに紹介したとおりです(注3)。それでもte2222000さんにはまだ粟つぶほどの疑問が残るのでしょうか?
古く「此州」を隠州と読んだのは『大日本史』だけではありません。『隠岐国古記』を編纂した大西教保も同様です。『隠岐国古記』は1823年『隠州視聴合記』を底本にして、さらに増補された史料なので、それは『隠州視聴合記』の最良の注釈書ともいえます。
この本もいくつか写本があるようで内容の細部は少しずつ違いますが、問題の個所は私の知るかぎり、「この国」すなわち隠岐国になっています。したがって大西教保は「此州」を「此島」あるいは松島・竹島と読まなかったことになります。
(つづく)
これは メッセージ 12275 (te2222000 さん)への返信です.
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