>松島渡海免許
投稿者: T_Ohtaguro 投稿日時: 2005/09/16 09:22 投稿番号: [11024 / 18519]
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/
17世紀初頭、伯耆国(ほうきこく=現・鳥取県)米子の海運業者だった
大谷甚吉(おおやじんきち)が、航海中に暴風に遭い、
無人島になった鬱陵島に漂着した。
彼は、新島の発見と考え、帰国後、同志の村川市兵衛とはかり、
1616年に江戸幕府(1603-1868)から鬱陵島への渡航許可を受ける。
鬱陵島はその発見から「竹島」と呼ばれるようになった。
大谷、村川両家はその後毎年交替で鬱陵島に渡り、
アシカ猟やアワビの採取、木材の伐採などを行い、
両家の鬱陵島経営は78年間続けられた。
当時鬱陵島へ渡るコースは、
隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。
大谷、村川両家は、この竹島(旧・松島)の経営をも手がけていた。
竹島が航路中の寄港地、漁猟地として利用され
アシカ猟を行っていた記録も残っている。
江戸幕府は松島に対する渡航許可も1656年に出している。
(注意:竹島はむかし松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた。
韓国もこの歴史的経緯・事実に対しては異論は出ていない)
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さて、↑の頃の年代には、
国絵図(1644〜1647)という地図が作製されている。
http://www.kashiwashobo.co.jp/new_web/pamph/pamph07.html
江戸幕府が諸国の大名に作成させた“国土基本図”であるから、
竹島、松島に対し領有意思があったのであれば、
描かれているはずではなかろうか?
これは メッセージ 11018 (tinopure さん)への返信です.
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