竹島

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『世宗実録』と于山島2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2003/02/05 22:11 投稿番号: [1068 / 18519]
   その下條氏がまたもや無理な解釈をしているようです。地理志の「二島相去不遠 風日清明 則可望見」とある部分です。同氏は「風日清明」の前に恣意的に「武陵島」を補い「武陵島は風日清明なれば、すなわち(陸地)から望み見るべし」と読みました(注4)。
   このように途中で恣意的に主語を変えて読むのも勝手ですが、そうすると「風日清明 則可望見」の一節がその直前の「二島相去不遠」と切れてしまい文章がうまくつながらず唐突で不自然です。無理な我田引水といわざるをえません。

   話が横道にそれましたが、朝鮮王朝は空島政策を堅持すべく、またも武陵島民を連れ戻したのですが、それもつかのまで十年も経つと島へ渡る人がまた続出しました。そのうち、島は特産物が多く、土地は肥え、しかも逃亡者がいるとのうわさもあり、朝廷も放っておけず南薈、者敏を茂陵島巡審敬差官として派遣し、島民を連れ戻したことが実録に記録されました。

『世宗実録』世宗20(1438)年7月戊戌條(注5)
   護軍の南薈、司直の者敏が茂陵等から帰り復命した。男女66人を捕らえ、島で産出する砂鉄や鍾乳石、生アワビ、大竹などを進呈した。
   いわく、船で発って島に一日一夜で到着した。暁に人家を襲ったが、反抗する者はいなかった。皆本国人である。かれらがいうには、この地は肥沃で豊饒と聞いて一年前の春に密航してきた。
   その島は四面がみな石で雑木と竹が林をなしている。西海岸に一箇所碇泊できるところがある。東西は一日くらい、南北は一日半ほどの距離である。

   たまに空島政策は島の放棄であると誤解する人がいるようですが、これはもちろん版図の放棄ではありません。世宗の言葉にみられるように、放棄した島は他国領ではなく自国領であり、また自国領であるから空島であれ政策をしくことが可能になります。他国領に空島「政策」をしくことは不可能です。

(注1)『世宗実録』世宗7(1425)年10月乙酉條
  于山武陵等處按撫使金麟雨 搜捕本島避役男婦二十人 來復命 初麟雨領兵船二隻 入茂陵島 船軍四十六名 所坐一艘 飄不知去向 上謂諸卿曰 麟雨捕還二十餘人 而失四十餘人 何益哉 此島別無異産 所以逃入者 專以窺免賦役 禮曹參判金自知啓曰 今此捕還逃民 請論如律 上曰 此人非潛從他國 且赦前所犯 不可加罪 仍命兵曹置于忠清道深遠山郡 使勿復逃 限三年復戸
(注2)『世宗実録』世宗18(1436)年閏6月甲申條(注2)
  江原道監司柳季聞啓 武陵島牛山 土沃多産 東西南北各五十餘里 沿海四面 石壁周回 又有可泊船隻之處 請募民實之 仍置萬戸守令 實爲久長之策 不允
(注3)『世宗実録地理志』江原道蔚珍縣條(1432,1454)
  于山武陵二島 在縣正東海中 二島相去不遠 風日清明 則可望見 新羅時稱于山國 一云鬱陵島 地方百里
(注4)下條正男「竹島問題、金炳烈氏に再反論する」『現代コリア』1999.5
(注5)『世宗実録』世宗20(1438)年7月戊戌條
  護軍南薈 司直者敏 回自茂陵島復命 進所捕男婦六十六及産出沙鐵石鍾乳生鮑大竹等物 仍啓曰 發船一日一夜乃至 日未明 掩襲人家 無有拒者 皆本國人也 自言聞此地沃饒 年前春 潛逃而來 其島四面皆石 雑木與竹成林 西面一處可泊舟楫 東西一日程 南北一日半程

   (半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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