サンフランシスコ条約の新解釈1
投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/08/21 22:02 投稿番号: [10385 / 18519]
半月城です。前回書いた文を改訂します。
竹島=独島の領有権問題を大きく分けると、下記の3点に集約されるのではないかと思われます。
(1)歴史的に日本の「固有領土」か?
(2)1905年の日本領への編入は問題なかったか?
特に当時において竹島=独島は無主地か? あるいは韓国の領土か?
(3)日本の領土を決定すべきサンフランシスコ平和条約の解釈。
これまで(1)、(2)についてはかなり議論してきたので、今回は1952年に発効した (3)のサンフランシスコ平和条約について書きたいと思います。
条約のくわしい研究は、日本では「竹島日本領派」である国会図書館の塚本孝氏によりなされましたが、最近、同氏のサンフランシスコ平和条約をめぐる見解が変わったようで注目されます。
9年前、同氏は論文「竹島領有権問題の経緯」のなかで「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定したわけである(注1,P10)」と断言していました。ところが、最近の同氏の著作では上記の見解が姿を消しました。
といっても、同氏は平和条約を軽視しているわけではなく、その重要性について「国際法上も領土の処理は平和条約によるべきものであって、占領軍の司令部の指令で決せられるものではなかった(注2,P113)」と『中央公論』に記しているくらいです。
同誌に塚本氏は結論めいたことは書かず、ただアメリカが条約案の作成過程において無能な韓国大使の要求を拒絶した事実を中心に、こう記しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
平和条約と竹島
韓国が李承晩ラインの設定にあたり竹島を取り込んだ背景として、いまひとつ挙げられるのは、平和条約の締結過程における一連の出来事である。
韓国は、条約草案を準備していた米国に対し竹島を韓国領とするよう申し入れ、拒否されていた。
・・・
韓国の条約案修正要求に対する米国の正式な回答は、同年(1951)8月10日付けの書簡で行なわれた。この書簡で、ラスク(Dean Rusk)国務次官補は、国務長官に代わり、竹島の領土要求を含む第一項について次のように回答した。
「ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、一九〇五年ごろから日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によつて領土主張がなされたとは思われません。」
筆者は以上の国務省記録を米国の国立公文書館で確認したが、・・・。
ともあれ、この平和条約起草過程における経過をみると、韓国は外交交渉で得られなかったものを、李承晩ライン設定という一方的な国内措置で実現しようとしたことがわかる(注2,P114)。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
これで塚本氏の「平和条約と竹島」に関する説明は終わるのですが、問題の「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定」とする趣旨の発言はまったく見られませんでした。
(つづく)
竹島=独島の領有権問題を大きく分けると、下記の3点に集約されるのではないかと思われます。
(1)歴史的に日本の「固有領土」か?
(2)1905年の日本領への編入は問題なかったか?
特に当時において竹島=独島は無主地か? あるいは韓国の領土か?
(3)日本の領土を決定すべきサンフランシスコ平和条約の解釈。
これまで(1)、(2)についてはかなり議論してきたので、今回は1952年に発効した (3)のサンフランシスコ平和条約について書きたいと思います。
条約のくわしい研究は、日本では「竹島日本領派」である国会図書館の塚本孝氏によりなされましたが、最近、同氏のサンフランシスコ平和条約をめぐる見解が変わったようで注目されます。
9年前、同氏は論文「竹島領有権問題の経緯」のなかで「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定したわけである(注1,P10)」と断言していました。ところが、最近の同氏の著作では上記の見解が姿を消しました。
といっても、同氏は平和条約を軽視しているわけではなく、その重要性について「国際法上も領土の処理は平和条約によるべきものであって、占領軍の司令部の指令で決せられるものではなかった(注2,P113)」と『中央公論』に記しているくらいです。
同誌に塚本氏は結論めいたことは書かず、ただアメリカが条約案の作成過程において無能な韓国大使の要求を拒絶した事実を中心に、こう記しました。
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平和条約と竹島
韓国が李承晩ラインの設定にあたり竹島を取り込んだ背景として、いまひとつ挙げられるのは、平和条約の締結過程における一連の出来事である。
韓国は、条約草案を準備していた米国に対し竹島を韓国領とするよう申し入れ、拒否されていた。
・・・
韓国の条約案修正要求に対する米国の正式な回答は、同年(1951)8月10日付けの書簡で行なわれた。この書簡で、ラスク(Dean Rusk)国務次官補は、国務長官に代わり、竹島の領土要求を含む第一項について次のように回答した。
「ドク島、または竹島ないしリアンクール岩として知られる島に関しては、この通常無人である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、一九〇五年ごろから日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によつて領土主張がなされたとは思われません。」
筆者は以上の国務省記録を米国の国立公文書館で確認したが、・・・。
ともあれ、この平和条約起草過程における経過をみると、韓国は外交交渉で得られなかったものを、李承晩ライン設定という一方的な国内措置で実現しようとしたことがわかる(注2,P114)。
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これで塚本氏の「平和条約と竹島」に関する説明は終わるのですが、問題の「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定」とする趣旨の発言はまったく見られませんでした。
(つづく)
これは メッセージ 10316 (hangetsujoh さん)への返信です.
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