竹島

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サンフランシスコ条約の新解釈2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/08/21 22:04 投稿番号: [10386 / 18519]
   しかも、塚本氏は韓国の要求が入れられなかったことを記しても、日本の竹島=独島に対する要求も紆余曲折のすえ、結局はとおらなかった重要事実を記しませんでした(注9)。これは公平、客観性に欠く記述と思われます。
   塚本氏は後者について『調査と月報』のほうではこう記しました。
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   1950年8月以降、国務長官顧問 J.F.ダレスが中心となって従前の草案に比べ簡潔な草案が起草されるところとなり、日本に残す島を列挙する方式もとられないことになった。
   しかし、竹島の日本保持に変更はなかった。・・・
   朝鮮放棄条項は、同年(1951)6月の「改訂米英草案」において最終条文の文言すなわち「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び利益を放棄する」(第2条a)に落ち着いた(注2,P9)。
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   塚本氏は、竹島=独島を日本領とする条文が1950年の段階で削除されても「竹島の日本保持に変更はなかった」と信じこんで「平和条約上は、竹島が日本の保持する島として確定したわけである」という結論を導いたのですが、これは我田引水です。
   その後の資料、とくに在日アメリカ大使館の極秘資料によれば、国務省は竹島=独島について何度か検討した末、先の「岩島(ドク島)は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく」とした見解を変え、最終的に 1952年にはこう結論づけました。
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   国務省はリアンコールト岩の歴史をすでに数回も検討したことがあるが、それをここで詳述する必要はない。その岩はアザラシの繁殖地であり、ある時期、朝鮮王朝の一部であった。その岩は、日本がその帝国を朝鮮に拡張した時、もちろん朝鮮の残りの領土とともに併合された(注3)。
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   アメリカ国務省が、最終的に竹島=独島は「朝鮮王朝の一部」であったと認識していたことは重要な意味をもちます。これは、竹島=独島が無主地ではなかったとアメリカも認識していたことを意味します。この資料は塚本孝氏など「竹島日本領派」にとってはさぞかし痛手になったことでしょう。
   竹島=独島が無主地でないなら、日本の竹島=独島編入は「狼どもの国際法」に照らしても違法になることはいうまでもありません。しかし、アメリカはそこまで踏み込んだ判断をしなかったようでした。アメリカ大使館の極秘文書はこうつづけました。
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   しかしながら日本政府は、帝国支配の過程においてこの領域を日本の本土に編入し、ある県の行政下においた。
   そのため、日本が平和条約の第2章で「済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権」を放棄することに同意した時、条約の起草者はこの岩を放棄すべき領域に含めなかった。
   日本は、リアンコールト岩に対する日本の領有権は理由のあることとしている。それに韓国が異議を唱えているのは明白な根拠にもとづくものである(注3)。
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   条約の米英合同最終案は、日本が竹島=独島を領土編入した事実を考慮したのか、竹島=独島を日本が放棄する島のリストには加えませんでした。といっても、これはアメリカが竹島=独島を日本領と断定したわけではありません。韓国の領有権主張が「明白な根拠にもとづく」と理解しているからです。
   したがって、アメリカは竹島=独島の領有権を決着させず、意図的にあいまいにしたといえます。アメリカは、1905年の日本の領土編入がカイロ宣言にいう「暴力および貪欲により略取」に相当するのかどうかの判断を避けたものとみられます。
(つづく)
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