韓国の前方後円墳−1−
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/27 11:19 投稿番号: [10021 / 18519]
引用:
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-1/korea-1.htm
閑話休題
韓国の前方後円墳
日本固有の墓制と考えられている前方後円墳が韓国にも存在し、これが日本の前方後円墳の源流であると韓国の研究者が主張し、話題になったことがある。その後の調査でこの古墳は3基の古墳が連接したもので、前方後円墳でないことが分った。しかしその後、確実に前方後円墳であると考えられるものが11基も確認され、新たな議論を呼んでいるという。
これらの前方後円墳は、1つを除いて全羅南道にあり、5世紀後半から6世紀中葉までの限られた期間に造営されたという。また、日本固有ともいえる円筒埴輪(韓国では円筒型土器という)も出土している。現在では前方後円墳日本起源説が定説となっているようである。では、なぜある時期ある地域で前方後円墳が造営されたのだろうか。
「在地首長の墓」説
全羅南道は栄山江流域に当り、百済に領有されるまでは政治的に自立していた。高句麗に攻められた百済は475年に今のソウルから公州へ都を移すと、南方へ進出を図った。この結果、独自性を保っていた栄山江流域も百済の圧迫を受けるようになった。そこで、かねてより倭(日本)と交流が深かった在地の有力首長が、百済の領有化に抵抗するため、倭の勢力と通じていることをアピールしようとして採用したのが前方後円墳だったという説である。
「有力倭人の墓」説
当時百済に移住して百済王の臣下になった倭人が多数いた。百済は直接支配はしていなかったが、拠点的に領有地には有力倭人が派遣されていた。彼等が故国の墓制にしたがって、前方後円墳を作ったという説である。
どちらの説を取るにしても、当時の日本と韓国の間の密接な交流の証拠として、前方後円墳の存在は興味深い。
(土生田純之氏 2002.11.3 シンポジウム 、朝日新聞 2000.10.21 奈良版 などを参考にした)
1 竹幕洞遺跡
3 新徳古墳
5 明花洞古墳
7 チャラボン古墳
9 海南長鼓山古墳
11 松鶴洞古墳 2 ウォルゲ古墳
4 月桂洞古墳
6 咸平長鼓山古墳
8 龍頭里古墳
10 造山古墳
前方後円墳の所在地
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-1/korea-1.htm
閑話休題
韓国の前方後円墳
日本固有の墓制と考えられている前方後円墳が韓国にも存在し、これが日本の前方後円墳の源流であると韓国の研究者が主張し、話題になったことがある。その後の調査でこの古墳は3基の古墳が連接したもので、前方後円墳でないことが分った。しかしその後、確実に前方後円墳であると考えられるものが11基も確認され、新たな議論を呼んでいるという。
これらの前方後円墳は、1つを除いて全羅南道にあり、5世紀後半から6世紀中葉までの限られた期間に造営されたという。また、日本固有ともいえる円筒埴輪(韓国では円筒型土器という)も出土している。現在では前方後円墳日本起源説が定説となっているようである。では、なぜある時期ある地域で前方後円墳が造営されたのだろうか。
「在地首長の墓」説
全羅南道は栄山江流域に当り、百済に領有されるまでは政治的に自立していた。高句麗に攻められた百済は475年に今のソウルから公州へ都を移すと、南方へ進出を図った。この結果、独自性を保っていた栄山江流域も百済の圧迫を受けるようになった。そこで、かねてより倭(日本)と交流が深かった在地の有力首長が、百済の領有化に抵抗するため、倭の勢力と通じていることをアピールしようとして採用したのが前方後円墳だったという説である。
「有力倭人の墓」説
当時百済に移住して百済王の臣下になった倭人が多数いた。百済は直接支配はしていなかったが、拠点的に領有地には有力倭人が派遣されていた。彼等が故国の墓制にしたがって、前方後円墳を作ったという説である。
どちらの説を取るにしても、当時の日本と韓国の間の密接な交流の証拠として、前方後円墳の存在は興味深い。
(土生田純之氏 2002.11.3 シンポジウム 、朝日新聞 2000.10.21 奈良版 などを参考にした)
1 竹幕洞遺跡
3 新徳古墳
5 明花洞古墳
7 チャラボン古墳
9 海南長鼓山古墳
11 松鶴洞古墳 2 ウォルゲ古墳
4 月桂洞古墳
6 咸平長鼓山古墳
8 龍頭里古墳
10 造山古墳
前方後円墳の所在地
これは メッセージ 9999 (pokosi2000 さん)への返信です.
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