韓国の前方後円墳−2−
投稿者: okinotorisima2004 投稿日時: 2005/06/27 11:59 投稿番号: [10022 / 18519]
http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.htm
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「在地首長の墓」説
全羅南道は栄山江流域に当り、百済に領有されるまでは政治的に自立していた。高句麗に攻められた百済は475年に今のソウルから公州へ都を移すと、南方へ進出を図った。この結果、独自性を保っていた栄山江流域も百済の圧迫を受けるようになった。そこで、かねてより倭(日本)と交流が深かった在地の有力首長が、百済の領有化に抵抗するため、倭の勢力と通じていることをアピールしようとして採用したのが前方後円墳だったという説である。
「有力倭人の墓」説
当時百済に移住して百済王の臣下になった倭人が多数いた。百済は直接支配はしていなかったが、拠点的に領有地には有力倭人が派遣されていた。彼等が故国の墓制にしたがって、前方後円墳を作ったという説である。
どちらの説を取るにしても、当時の日本と韓国の間の密接な交流の証拠として、前方後円墳の存在は興味深い。
これは メッセージ 10021 (okinotorisima2004 さん)への返信です.
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