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嗚呼 勘違い・・・m(_ _)m

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/11/06 02:30 投稿番号: [448 / 7270]
>>「北京の55日」

>伊丹十三が、日本の駐在武官・柴五郎中佐役をやったものですね。

  丸顔チョビ髯でチャールトンヘストンと並んでた場面を覚えています。

岩松マコのほうの印象が強かった・・と記憶してたんですが、これはは「砲艦サンパブロ」のほうでした。
よって、↓№443のこの部分は私の記憶違いでしたので取り消しです。
>義和団側はずいぶんと残酷に描かれていました
  (結局、ヘストンと伊丹十三と城壁しか覚えてない・・トホホ)

>本物の柴の方が顔に品がありますが。

  伊丹十三に軍人の品を求めるのは酷と思われ・・(彼の俳優以外での仕事は嫌いじゃなかったです)

>日本軍の担当した地区は軍紀厳正で〜

  子供達向けですがこんなHPがありました。
  「すばらしい先輩たち 会津人のほこり(第1集) 」会津若松市教育委員会

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/kyoiku/kyouiku/fukudokuhon/naiyou/49aizuwakamatsu4/html/00147.html
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世界注視(ちゅうし)の中で

  明治三十三年(1900年)五月、中国で「北清事変(ほくしんじへん)」といわれる戦乱がおきました。この事件は、当時の世界の強国が、中国(当時「清(しん)」)に勢カをのばしてきたのに対して、「義和団(ぎわだん)」といわれる農民軍が各国の公使館や教会などをとりまき、攻げきした事件です。北京市内の各国公使館などに、外国人や中国人のキリスト教徒などがにげ込みたてこもりました。一万余の農民軍がとり囲(かこ)み、攻めてくる中で、各国連合軍は、最初四百五十人の軍人と百五十人の義勇兵がいるだけで六十三日間にわたってろう城し、たえぬいた事件でした。どうなることかと、全世界の目が北京(ぺきん)に注がれました。そのとき、陸軍中佐として北京の日本大使館に駐在(ちゅうざい)していた柴五郎は、連合軍の指揮官(しきかん)におされました。四十二歳であった柴中佐の沈着(ちんちゃく)で果断(かだん)、そして勇かんな態度は、各国の賞賛(しようさん)をあびました。とくにイギリスは、この事件のあと、勲章(くんしよう)をおくってその功績(こうせき)をほめたたえたほどです。

  柴中佐にとっては、少年時代の、言葉には言いあらわせない苦しみをのり越えてきたことを思うとき、どんな困難につき当ってもたじろぐことはなかったのでしょう。

  この事件のあと、戦いに勝ちほこった各国軍が、北京市内で略奪(りゃくだつ)や乱暴(らんぼう)を働いて中国人の非難(ひなん)と反感をかいました。このような中で、柴中佐は自分の指揮(しき)する兵士に向って、厳(きび)しく規律(きりつ)をいましめ、逆に中国人を保護する態度に出ました。戦いに負けたものが、どんなに悲惨(ひさん)であるかを、身をもって体験し、誰よりもよく知っていたからです。強いばかりでなく、決して人をあざむかない態度は、中国人からもしたわれました。〜後略〜
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  話はかわりますが、今日、NHKローカルで旧日本海軍雷の乗組員と
元英海軍士官の再会のニュースをやっていました。
  スラバヤの救助のお礼とのこと、その話を聞いた海上自衛隊では
二人を先日の観艦式(?)に招待したそうです。
  全国ニュースにはなりにくい話題と思われますのでお知らせいたしました。
  (個人的には、潜水艦の浮上シーンがチラっと見られて喜んでましたー観艦式)
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