れ>北清事変と言う。
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/11/04 06:17 投稿番号: [446 / 7270]
>「北京の55日」
伊丹十三が、日本の駐在武官・柴五郎中佐役をやったものですね。本物の柴の方が顔に品がありますが。
「北京篭城」(柴五郎・平凡社・東洋文庫・これは読んでいません)
「ある明治人の記録・会津人柴五郎の遺書・中公文庫)
北京が篭城から解かれたのはまったくこの柴と日本軍の働きによる。
柴の言によると、包囲された日本軍に.夜中にこっそりと食料を投げ入れてくれる中国人もいたとか。 また天津の日本軍司令部との秘密の連絡役をやってくれた中国人もいたらしい。これひとえに、柴が信用されていたから。
日本軍の担当した地区は軍紀厳正で、そのため他の地区から逃げ込んでくる中国人も多かったらしい。この時期、ヨーロパ、アメリカの兵隊は結構略奪、暴行をやっていたらしい。
芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 9:16
メッセージ: 1392 / 1556
投稿者: kitunetuki38
映画「北京の55日」で伊丹一三が演じた芝五郎大佐の伝記「守城の人」村上兵衛著を読みました。この中で明治21年に北京から釜山まで旅行しているのですが李朝末期の役人、民衆の生活が描かれていて面白いのですが、村上氏の筆がどの程度入っているか判りません。一次文献として芝五郎の参謀本部への報告書とか回顧談とかありましたらご教示ください。あるいは出身地の会津で郷土出身者の伝記などで其の部分が判ると面白いと思います。なんと言っても外国人の旅行記ではなく日本人による観察記録は我々の感性にぴったりくるのではないかと思うのです。
これは violla_21 さんの 1 に対する返信です
>芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 12:01
メッセージ: 1393 / 1556
投稿者: kuuboakagi00 (555歳/男性/太平洋)
柴は、「明治20年より毎日日記を怠らず」らしかったので、この日記があると面白いとおもいますが、見つかったのでしょうか。
中国と中国人には理解と親近感を持っていた柴が朝鮮人に対してどのような感情をもっていたのかは大変興興味深いところです。
知中派で、親中派だったのですが、では、朝鮮にたいしては、ということです。
明石元二郎を書いた杉森の[錆びたサーベル]は、朝鮮民衆の生活について結構うそかいてますね。
これは kitunetuki38 さんの 1392 に対する返信です
>>芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 22:32
メッセージ: 1394 / 1556
投稿者: kitunetuki38
柴五郎の間違いでした。赤城先生の書き込みをみるまで間違っていたのに気がつきませんでした。さらに北清事変の時は中佐です。
小説の中の朝鮮民衆はここの書込みとかわりないような描かれかたです。役人が横暴きわめるとか、民衆が蓄財しても両班になんやかんやと難癖をつけられて取り上げられてしまうので金を貯めることをしない、男子を産んだ女性は誇らしげに両乳をだしているとかです。
ちょっと気になるのは日本領事がとても横暴であった、領事館員の対馬人が朝鮮人にたいし横柄であったということです。日清戦争前で日本が国際社会で海のものとも山のものともつかない頃からいちぶには朝鮮にたいしての蔑視があったのでしょうか。
これは kuuboakagi00 さんの 1393 に対する返信です
面白いのは、中国と中国人に対しては大変深い愛情と理解を示した柴が(日本は中国と決して戦うべきではないとずっと主張していた)、朝鮮人にはそれ程の愛情はそそがなかったらしいこと。 接触の長さの違いによる所がおおいかなと思われるが。
伊丹十三が、日本の駐在武官・柴五郎中佐役をやったものですね。本物の柴の方が顔に品がありますが。
「北京篭城」(柴五郎・平凡社・東洋文庫・これは読んでいません)
「ある明治人の記録・会津人柴五郎の遺書・中公文庫)
北京が篭城から解かれたのはまったくこの柴と日本軍の働きによる。
柴の言によると、包囲された日本軍に.夜中にこっそりと食料を投げ入れてくれる中国人もいたとか。 また天津の日本軍司令部との秘密の連絡役をやってくれた中国人もいたらしい。これひとえに、柴が信用されていたから。
日本軍の担当した地区は軍紀厳正で、そのため他の地区から逃げ込んでくる中国人も多かったらしい。この時期、ヨーロパ、アメリカの兵隊は結構略奪、暴行をやっていたらしい。
芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 9:16
メッセージ: 1392 / 1556
投稿者: kitunetuki38
映画「北京の55日」で伊丹一三が演じた芝五郎大佐の伝記「守城の人」村上兵衛著を読みました。この中で明治21年に北京から釜山まで旅行しているのですが李朝末期の役人、民衆の生活が描かれていて面白いのですが、村上氏の筆がどの程度入っているか判りません。一次文献として芝五郎の参謀本部への報告書とか回顧談とかありましたらご教示ください。あるいは出身地の会津で郷土出身者の伝記などで其の部分が判ると面白いと思います。なんと言っても外国人の旅行記ではなく日本人による観察記録は我々の感性にぴったりくるのではないかと思うのです。
これは violla_21 さんの 1 に対する返信です
>芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 12:01
メッセージ: 1393 / 1556
投稿者: kuuboakagi00 (555歳/男性/太平洋)
柴は、「明治20年より毎日日記を怠らず」らしかったので、この日記があると面白いとおもいますが、見つかったのでしょうか。
中国と中国人には理解と親近感を持っていた柴が朝鮮人に対してどのような感情をもっていたのかは大変興興味深いところです。
知中派で、親中派だったのですが、では、朝鮮にたいしては、ということです。
明石元二郎を書いた杉森の[錆びたサーベル]は、朝鮮民衆の生活について結構うそかいてますね。
これは kitunetuki38 さんの 1392 に対する返信です
>>芝五郎中尉の朝鮮旅行
2003/ 5/27 22:32
メッセージ: 1394 / 1556
投稿者: kitunetuki38
柴五郎の間違いでした。赤城先生の書き込みをみるまで間違っていたのに気がつきませんでした。さらに北清事変の時は中佐です。
小説の中の朝鮮民衆はここの書込みとかわりないような描かれかたです。役人が横暴きわめるとか、民衆が蓄財しても両班になんやかんやと難癖をつけられて取り上げられてしまうので金を貯めることをしない、男子を産んだ女性は誇らしげに両乳をだしているとかです。
ちょっと気になるのは日本領事がとても横暴であった、領事館員の対馬人が朝鮮人にたいし横柄であったということです。日清戦争前で日本が国際社会で海のものとも山のものともつかない頃からいちぶには朝鮮にたいしての蔑視があったのでしょうか。
これは kuuboakagi00 さんの 1393 に対する返信です
面白いのは、中国と中国人に対しては大変深い愛情と理解を示した柴が(日本は中国と決して戦うべきではないとずっと主張していた)、朝鮮人にはそれ程の愛情はそそがなかったらしいこと。 接触の長さの違いによる所がおおいかなと思われるが。
これは メッセージ 443 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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