続き
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2003/11/04 00:45 投稿番号: [443 / 7270]
【列国の中国進出】老大国清が日本に破れてその弱体を暴露したことは、植民地拡張を狙っていたヨーロッパ列強乗城ずるところとなった。1898年(明治31年)独はご膠州湾を、ロシアは日本に還付させた旅順・大連を、英は威海衛を、翌年仏は広州湾をそれぞれ競って租借し、またそれぞれ中国の内地に特殊利権を得た。アメリカも、米大陸以外のことに口出ししないというモンロー主義を捨て、1898年にはハワイ及びフィリピンを併合したが、ヨーロッパ列強の中国領土進出を見て、1899年(明治32年)、清国について門戸開放・機会均等の原則を提唱している。列国の進出を受けた清国では、自覚した政治家康有為らによる国政改革の企てが行われたが、他方列国の態度を憤る排外の徒が起り、1900年には義和団の暴動となった。日本をはじめ、列国は、公使館・居留民を救うため北京に兵を出した。これを北清事変と言う。〜続く〜
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>北清事変と言う。
「北京の55日」って映画があったような・・淀長さんの番組で見た(気がします。)
義和団側はずいぶんと残酷に描かれていました(記憶ちがいかな?)ま、ハリウッド映画ですから、控え目、誇張どっちもありでしょう。
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【日英同盟と日露戦争】これより先ロシアは清国と密約を結び、満州に鉄道その他の利権を得、義和団事件を口実に満州を軍隊で占領し、さらに進んで朝鮮に勢力を扶植しようとした。その頃ヨーロッパでは独・オーストリア・伊の三国同盟と、ロシア・仏の二国同盟とが対立していた。独は腹背からの脅威を免れる為、ロシアをそそのかして東方経営に力を注がせたのである。日本ではロシアと協約を結びその脅威からのがれようとする伊藤博文らと、ロシアの南下をを喜ばない英と結んでロシアの勢力を食止めようとする小村寿太郎らと意見が二つに分かれたが、結局英はいわゆる名誉の孤立を捨てて、1902年日本と手を握り、日英同盟が成立した。ここにおいて日本はロシアの南進を阻止することに意を決した。日本は、満州をロシアの支配化に置くのを認め、その代わりに朝鮮における日本の特殊な地位を承認することを最後条件として提出した。それが聞かれないことがわかると、1904年ロシアに戦いを宣し日露戦争が始った。
〜略〜米大統領テオドール・ルーズベルトは日本の請いによって仲裁を提議し、ポーツマスで講和会議を開いた。その結果、ロシアは日本の韓国における優越権を認め、南満州の鉄道と旅順・大連の租借権を日本に譲り、南樺太を割いて和を結んだ。
日露戦争の後、日本は韓国を保護国とし、これに統監府を置いた。1910年にはこれを併合し、これから1945年に至るまで、朝鮮は日本の支配下に置かれたのである。日本は朝鮮総督府を置き、植民地として朝鮮を統治した。
〜後略〜
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>日露戦争の後、日本は韓国を保護国とし、これに統監府を置いた。1910年にはこれを併合し〜
年表ではポーツマス講和条約の成立が1905年、保護国になってから併合までに5年の間がある。
この間の半島の状況はどんなだったのかなぁ・・・(過去ログ探さなきゃ)
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>北清事変と言う。
「北京の55日」って映画があったような・・淀長さんの番組で見た(気がします。)
義和団側はずいぶんと残酷に描かれていました(記憶ちがいかな?)ま、ハリウッド映画ですから、控え目、誇張どっちもありでしょう。
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【日英同盟と日露戦争】これより先ロシアは清国と密約を結び、満州に鉄道その他の利権を得、義和団事件を口実に満州を軍隊で占領し、さらに進んで朝鮮に勢力を扶植しようとした。その頃ヨーロッパでは独・オーストリア・伊の三国同盟と、ロシア・仏の二国同盟とが対立していた。独は腹背からの脅威を免れる為、ロシアをそそのかして東方経営に力を注がせたのである。日本ではロシアと協約を結びその脅威からのがれようとする伊藤博文らと、ロシアの南下をを喜ばない英と結んでロシアの勢力を食止めようとする小村寿太郎らと意見が二つに分かれたが、結局英はいわゆる名誉の孤立を捨てて、1902年日本と手を握り、日英同盟が成立した。ここにおいて日本はロシアの南進を阻止することに意を決した。日本は、満州をロシアの支配化に置くのを認め、その代わりに朝鮮における日本の特殊な地位を承認することを最後条件として提出した。それが聞かれないことがわかると、1904年ロシアに戦いを宣し日露戦争が始った。
〜略〜米大統領テオドール・ルーズベルトは日本の請いによって仲裁を提議し、ポーツマスで講和会議を開いた。その結果、ロシアは日本の韓国における優越権を認め、南満州の鉄道と旅順・大連の租借権を日本に譲り、南樺太を割いて和を結んだ。
日露戦争の後、日本は韓国を保護国とし、これに統監府を置いた。1910年にはこれを併合し、これから1945年に至るまで、朝鮮は日本の支配下に置かれたのである。日本は朝鮮総督府を置き、植民地として朝鮮を統治した。
〜後略〜
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>日露戦争の後、日本は韓国を保護国とし、これに統監府を置いた。1910年にはこれを併合し〜
年表ではポーツマス講和条約の成立が1905年、保護国になってから併合までに5年の間がある。
この間の半島の状況はどんなだったのかなぁ・・・(過去ログ探さなきゃ)
これは メッセージ 442 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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