Re: >満州事変
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/08/20 21:08 投稿番号: [4396 / 7270]
しかし、結果的にリットン報告書が満州事変を正当な自衛行動とは認めなかったのも事実である。それで、この報告書に基づいて昭和八年二月、連盟総会は、日本に対して軍隊を満鉄付属地内へ撤収することを勧告した。
東京裁判・パール判事
「『もし日本がこの威嚇に屈服し、その軍隊を撤収した暁においては、満州は以前よりもはるかに恐ろしい無政府状態および悪政に委ねられたことであろうと思う』。連盟自身は満州に立ち入って、その秩序を回復しうる手段をもっていなかったのである。また同様に連盟は、日本軍の安全を保障しうる手段をも有していなかったのである」
「満州事変当時、侵略戦争は国際法上、犯罪となったとの見解を、仮に本官が受入れることができたとしても、本官は断じて満州事変を、このような侵略戦争であると考えなかったであろう」
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=36
満州事変直前の万宝山事件
この事件も日本の謀略にされては堪りません。
残虐な朝鮮人が起こした事件も、排日運動を刺激したようです。
万宝山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1931年7月2日に満州内陸に位置する長春の北、三姓堡万宝山の朝鮮人農民を、中国人農民が水利の利害関係より襲撃、さらに日本の警察官とも衝突した事件。
中華民国資料 死者0
日本の主張 共匪資料では死者十名
(事件を)、7月2日に朝鮮日報長春支局記者金利三(朝鮮人)200人が万宝山で死亡の報道
その後(朝鮮人)死亡者数を800人以上と報道の号外
7月5日(朝鮮人によって)平壌在住支那人が襲われ、死者37名、重軽傷者93名
7月7日半島全土に於ける支那人死者146人 行方不明91人 重軽傷546人
7月14日 朝鮮日報長春支局記者金利三、誤報であったとして謝罪訂正記事発表。
7月15日 金利三、日本警察巡査(朝鮮人 朴昌厦)に殺害さる。
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以上、満州事変の勃発は、日本の指導者の共同謀議という東京裁判は妄想に過ぎません。
そして、石原莞爾らの策謀が端緒としても、その目的と結果は、満州の安定であったと考えます。
なお、軍事行動そのものよりも、国策として満州に進出し、満州・朝鮮半島に投資したのは失敗だったと思います。
それよりは、日本国内の農地改良、インフラ整備に投資し、工業立国を目指した方が得策だったでしょう。
しかし、この場合も歴史どおり、米英蘭がブロック経済体制を形成すれば、日本の置かれた立場は同じですけど。
東京裁判・パール判事
「『もし日本がこの威嚇に屈服し、その軍隊を撤収した暁においては、満州は以前よりもはるかに恐ろしい無政府状態および悪政に委ねられたことであろうと思う』。連盟自身は満州に立ち入って、その秩序を回復しうる手段をもっていなかったのである。また同様に連盟は、日本軍の安全を保障しうる手段をも有していなかったのである」
「満州事変当時、侵略戦争は国際法上、犯罪となったとの見解を、仮に本官が受入れることができたとしても、本官は断じて満州事変を、このような侵略戦争であると考えなかったであろう」
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=36
満州事変直前の万宝山事件
この事件も日本の謀略にされては堪りません。
残虐な朝鮮人が起こした事件も、排日運動を刺激したようです。
万宝山事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%AE%9D%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1931年7月2日に満州内陸に位置する長春の北、三姓堡万宝山の朝鮮人農民を、中国人農民が水利の利害関係より襲撃、さらに日本の警察官とも衝突した事件。
中華民国資料 死者0
日本の主張 共匪資料では死者十名
(事件を)、7月2日に朝鮮日報長春支局記者金利三(朝鮮人)200人が万宝山で死亡の報道
その後(朝鮮人)死亡者数を800人以上と報道の号外
7月5日(朝鮮人によって)平壌在住支那人が襲われ、死者37名、重軽傷者93名
7月7日半島全土に於ける支那人死者146人 行方不明91人 重軽傷546人
7月14日 朝鮮日報長春支局記者金利三、誤報であったとして謝罪訂正記事発表。
7月15日 金利三、日本警察巡査(朝鮮人 朴昌厦)に殺害さる。
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以上、満州事変の勃発は、日本の指導者の共同謀議という東京裁判は妄想に過ぎません。
そして、石原莞爾らの策謀が端緒としても、その目的と結果は、満州の安定であったと考えます。
なお、軍事行動そのものよりも、国策として満州に進出し、満州・朝鮮半島に投資したのは失敗だったと思います。
それよりは、日本国内の農地改良、インフラ整備に投資し、工業立国を目指した方が得策だったでしょう。
しかし、この場合も歴史どおり、米英蘭がブロック経済体制を形成すれば、日本の置かれた立場は同じですけど。
これは メッセージ 4395 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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