Re: >「明治・大正・昭和 軍隊マニュアル
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/08/18 00:26 投稿番号: [4388 / 7270]
>送辞、答辞模範集ほところは特に面白かったです。軍隊が当時身近なものだったかがよくわかりましたです。
>分析の方は、この著者の年代では仕方ないかなと(新書のお値段で買えるってことで我慢しますです)・・・
読んでない人にはわからないので、トピにふさわしい部分を書いておきましょう。
この著者も朝鮮及び当時の情勢に関して全くの無知であり、曲解しています。
たとえば、当時から朝鮮人は日本人を蔑視しており、条約に基づく駐屯兵士だけでなく、一般居留民の婦女子をも度々虐殺してしまうという無法と残虐な民族性の点が欠落しています。
それに対して、マニュアルは、当時の日本人の朝鮮に対する評価、どう日清・日露戦争を考えていたか、よく分かると思います。
--------------------------------------------
73〜74P
朝鮮に関して、河村『祝辞弔祭慰問文範』はやや奇妙にみえる認識も示している。
同書収録の「姉夫某の朝鮮守備に赴くを送る文」(この日露戦争あたりから、各種の激励・挨拶「マニュアル」の設定は、だんだんリアル・多彩になってくる)における朝鮮は、
−−盟兄も御承知あらせらるる通り、朝鮮は既に我が日本帝国の保護に帰して居る国であります、日清戦争も之れが為めに開かれました、日露戦争も之れが為に開かれました、而るに朝鮮国民は元来事大主義[=大国に従う主義]でありますから、我が国の斯(かく)まで彼が為に尽瘁[すい=尽力]するにも係わらず、彼は常に款(よしみ)を露国に通じて、我が国の不利益となるような事ばかりを企てて以て、我が施政に妨害を加わうることは一再にして止まりませぬ・・・・日露戦争の最中なる今日、各所に暴動を起こして露の為めにするものも少くない・・・彼等は実に不開化極まる人民共でありますから、是れは前から注意して以て、犬死せぬようにせねばなりませぬ(一八・一九頁)−−
と要するに日本の真意を理解しない、頑迷な遅れた国として描かれている。これだけならば、よく言われるところの朝鮮への侮蔑感として読むこともできようが、同書における朝鮮観のゆがみはそのような単純なものではない。というのは、この『祝辞弔祭慰問文範』は「朝鮮守備兵の暴民の為めに虐殺されしを吊(ちょう)する文」と題する、朝鮮を守備しに行ったにもかかわらず、現地で「虐殺」された兵士を弔う模範文まで掲載しているからである。
−−朝鮮国民は、半開の人民なり、其の智識に於て、其の作業に於て、将々(はたまた)其の信仰に於て、特に其の然ることを知るなり・・・故に其の為す所は依然古代の如くして、今日の世界の文化に伴わず、是を以て欧米の列強は、これを呑噬[どんぜい=征服]して以て東亜に臨む根拠となさんとす、是に於て、我は彼を助けて以て支那と戦い、又露国と戦って以て、之が独立を扶掖[ふえき=援助]すと雖も、頑冥(めい)なる彼等国人は、動(やや)もすれば露の甘言に欺かれて以て、其の独立を危くせんとせり、我は彼と唇滅びて歯寒きの関係にあり、故に彼に守備兵を派して以て其の独立を扶掖するの義務あり、然るに彼等は我を以て禍心[=野心]あるものと疑い、我が守備兵に対して屡々(しばしば)危害を加え、遂に上等兵朝野鮮八、一等卒高麗八郎の二人を殺害せり(二五五・二五六頁)−−
朝鮮人を「古代」以来一歩も進歩しないと見下す日本人の自意識過剰ぶり、朝鮮人に対する猜疑心の根深さのにじみでた文章である。・・・・「満韓の民」を保護するための戦争であるはずなのに、なぜ彼らに「虐殺」された兵士の弔辞をあらかじめ作っておく必要があるのだろうか。朝鮮に対してややましい心(「禍心」)がないのであれば、そのような弔辞など不要だったはずである。他人の土地を支配することへの、なにがしかの後ろめたさを感じさせる。
>分析の方は、この著者の年代では仕方ないかなと(新書のお値段で買えるってことで我慢しますです)・・・
読んでない人にはわからないので、トピにふさわしい部分を書いておきましょう。
この著者も朝鮮及び当時の情勢に関して全くの無知であり、曲解しています。
たとえば、当時から朝鮮人は日本人を蔑視しており、条約に基づく駐屯兵士だけでなく、一般居留民の婦女子をも度々虐殺してしまうという無法と残虐な民族性の点が欠落しています。
それに対して、マニュアルは、当時の日本人の朝鮮に対する評価、どう日清・日露戦争を考えていたか、よく分かると思います。
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73〜74P
朝鮮に関して、河村『祝辞弔祭慰問文範』はやや奇妙にみえる認識も示している。
同書収録の「姉夫某の朝鮮守備に赴くを送る文」(この日露戦争あたりから、各種の激励・挨拶「マニュアル」の設定は、だんだんリアル・多彩になってくる)における朝鮮は、
−−盟兄も御承知あらせらるる通り、朝鮮は既に我が日本帝国の保護に帰して居る国であります、日清戦争も之れが為めに開かれました、日露戦争も之れが為に開かれました、而るに朝鮮国民は元来事大主義[=大国に従う主義]でありますから、我が国の斯(かく)まで彼が為に尽瘁[すい=尽力]するにも係わらず、彼は常に款(よしみ)を露国に通じて、我が国の不利益となるような事ばかりを企てて以て、我が施政に妨害を加わうることは一再にして止まりませぬ・・・・日露戦争の最中なる今日、各所に暴動を起こして露の為めにするものも少くない・・・彼等は実に不開化極まる人民共でありますから、是れは前から注意して以て、犬死せぬようにせねばなりませぬ(一八・一九頁)−−
と要するに日本の真意を理解しない、頑迷な遅れた国として描かれている。これだけならば、よく言われるところの朝鮮への侮蔑感として読むこともできようが、同書における朝鮮観のゆがみはそのような単純なものではない。というのは、この『祝辞弔祭慰問文範』は「朝鮮守備兵の暴民の為めに虐殺されしを吊(ちょう)する文」と題する、朝鮮を守備しに行ったにもかかわらず、現地で「虐殺」された兵士を弔う模範文まで掲載しているからである。
−−朝鮮国民は、半開の人民なり、其の智識に於て、其の作業に於て、将々(はたまた)其の信仰に於て、特に其の然ることを知るなり・・・故に其の為す所は依然古代の如くして、今日の世界の文化に伴わず、是を以て欧米の列強は、これを呑噬[どんぜい=征服]して以て東亜に臨む根拠となさんとす、是に於て、我は彼を助けて以て支那と戦い、又露国と戦って以て、之が独立を扶掖[ふえき=援助]すと雖も、頑冥(めい)なる彼等国人は、動(やや)もすれば露の甘言に欺かれて以て、其の独立を危くせんとせり、我は彼と唇滅びて歯寒きの関係にあり、故に彼に守備兵を派して以て其の独立を扶掖するの義務あり、然るに彼等は我を以て禍心[=野心]あるものと疑い、我が守備兵に対して屡々(しばしば)危害を加え、遂に上等兵朝野鮮八、一等卒高麗八郎の二人を殺害せり(二五五・二五六頁)−−
朝鮮人を「古代」以来一歩も進歩しないと見下す日本人の自意識過剰ぶり、朝鮮人に対する猜疑心の根深さのにじみでた文章である。・・・・「満韓の民」を保護するための戦争であるはずなのに、なぜ彼らに「虐殺」された兵士の弔辞をあらかじめ作っておく必要があるのだろうか。朝鮮に対してややましい心(「禍心」)がないのであれば、そのような弔辞など不要だったはずである。他人の土地を支配することへの、なにがしかの後ろめたさを感じさせる。
これは メッセージ 4382 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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