>ニューライトの学術書もまずまず売れて〜
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2006/05/05 02:17 投稿番号: [3948 / 7270]
>でも問題は、どこまで韓国内で受け入れられるかです。
↓かなり期待してもよさそうな昨日の記事がありました。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000064.html
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ホーム > 文化 > 文化 記事入力 : 2006/05/04 22:25
【歴史】『再認識』朴枝香教授、「排他的民族主義を脱却せよ」
今年出版された『解放前後史の再認識』は、韓国社会が民族主義について再考する契機となった。アンケート調査によると、この本を読んだ読者の69%が、『解放前後史の再認識』の視点は時代に合った歴史への評価であると答えた。これは国民の多くが、これまで学んできた民族主義的な歴史に問題があると考えていることを意味する。人々は今や、すべてを「民族」という単一の概念でくくってきた歴史の枠から逃れたいと願っているようだ。
韓国人は教育を通じ、あるいは開天節(檀君神話にちなんだ韓国の建国記念日)のような祝祭日を通じ、絶えず民族と民族主義をすり込まれながら成長する。韓国の教育において民族は根源的な概念であり、民族主義は人間が生まれつき備えている本能的な衝動として現れる。しかし、それは事実とは異なる。
民族とは、人が生まれてから接する環境の範囲を大きく超えた、巨大な概念だ。それゆえベネディクト・アンダーソンは、民族を「想像の共同体」と表現した。また民族主義も、自分の家族や郷土に対して自然に培われる愛情の枠を大きく外れたものであるため、本質的に外部から注入され、習得されて初めて生じる理念に過ぎない。
民族という概念がそれほど昔からあったものではないという事実について、長い説明は必要ではない。端的に言えば、人口の多くが農奴であった朝鮮時代に、民族など存在しなかった。両班(当時の支配階級)や平民、農奴の間に、お互いを「ウリ(われわれ)」という連帯意識に含めて考えるような認識は存在しなかったからだ。民族としての韓国人は、甲午改革(甲午農民戦争)の後、封建的身分秩序が崩壊し始めて初めて浮上したものであり、実際には三・一独立運動を契機として形成されたと見るべきだろう。民族主義歴史学はこうした事実をまともに教えてくれないが、これは必ずしも学校教育で学ばなくとも知ることのできる事実だ。
韓国社会で民族主義が勢力を握り、猛威を振るってきた理由は、植民統治の経験と南北分断にある。前者については、今やかなり克服できたと見ることができる。日本はいまだ理解し難い隣人ではあるが、韓国の今の若者は日本に対し引け目を感じる必要はないと感じており、日本に対する敵対心も強くないようだ。
一方で、すべてを民族統一の観点から見ようとする視点は、深刻な問題として残っている。いったいなぜ、人権や自由といった人類の普遍的な価値が、民族よりも軽んじられなければならないのだろうか。まずは統一が重要だから他の問題については蓋をしておこうという現政権の北朝鮮政策は、虚構の理念に埋没し、真性な価値から目をそらす悲劇的な現実を示しているものにほかならない。
〜続く
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↓かなり期待してもよさそうな昨日の記事がありました。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000064.html
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【歴史】『再認識』朴枝香教授、「排他的民族主義を脱却せよ」
今年出版された『解放前後史の再認識』は、韓国社会が民族主義について再考する契機となった。アンケート調査によると、この本を読んだ読者の69%が、『解放前後史の再認識』の視点は時代に合った歴史への評価であると答えた。これは国民の多くが、これまで学んできた民族主義的な歴史に問題があると考えていることを意味する。人々は今や、すべてを「民族」という単一の概念でくくってきた歴史の枠から逃れたいと願っているようだ。
韓国人は教育を通じ、あるいは開天節(檀君神話にちなんだ韓国の建国記念日)のような祝祭日を通じ、絶えず民族と民族主義をすり込まれながら成長する。韓国の教育において民族は根源的な概念であり、民族主義は人間が生まれつき備えている本能的な衝動として現れる。しかし、それは事実とは異なる。
民族とは、人が生まれてから接する環境の範囲を大きく超えた、巨大な概念だ。それゆえベネディクト・アンダーソンは、民族を「想像の共同体」と表現した。また民族主義も、自分の家族や郷土に対して自然に培われる愛情の枠を大きく外れたものであるため、本質的に外部から注入され、習得されて初めて生じる理念に過ぎない。
民族という概念がそれほど昔からあったものではないという事実について、長い説明は必要ではない。端的に言えば、人口の多くが農奴であった朝鮮時代に、民族など存在しなかった。両班(当時の支配階級)や平民、農奴の間に、お互いを「ウリ(われわれ)」という連帯意識に含めて考えるような認識は存在しなかったからだ。民族としての韓国人は、甲午改革(甲午農民戦争)の後、封建的身分秩序が崩壊し始めて初めて浮上したものであり、実際には三・一独立運動を契機として形成されたと見るべきだろう。民族主義歴史学はこうした事実をまともに教えてくれないが、これは必ずしも学校教育で学ばなくとも知ることのできる事実だ。
韓国社会で民族主義が勢力を握り、猛威を振るってきた理由は、植民統治の経験と南北分断にある。前者については、今やかなり克服できたと見ることができる。日本はいまだ理解し難い隣人ではあるが、韓国の今の若者は日本に対し引け目を感じる必要はないと感じており、日本に対する敵対心も強くないようだ。
一方で、すべてを民族統一の観点から見ようとする視点は、深刻な問題として残っている。いったいなぜ、人権や自由といった人類の普遍的な価値が、民族よりも軽んじられなければならないのだろうか。まずは統一が重要だから他の問題については蓋をしておこうという現政権の北朝鮮政策は、虚構の理念に埋没し、真性な価値から目をそらす悲劇的な現実を示しているものにほかならない。
〜続く
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これは メッセージ 3945 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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