イ・ヨンフン教授インタビュー④
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/01/02 01:15 投稿番号: [3232 / 7270]
http://japanese.joins.com/forum/board/view.php?no=41164&page=1
イ・ヨンフン教授インタビュー(2)
投稿者 : mikasa 投稿日時 : 2006-01-01 AM 08:00 照会数 : 105 推薦数 : 8
○朝鮮王朝の実質的没落は壬午軍乱
(問) 朝鮮解体の過程で、甲申政変の勢力が外部勢力の間で温存されるほどの力がなかったと言われますが、もし内在的に甲申政変の勢力が力を確保しており、また辛未の役以前にアメリカとの連携を強化してしたら、その危機を脱することができたのではないでしょうか?
実際、そんな努力がありました。普通は1905年の乙巳條約締結で朝鮮が日本の保護国になったとされますが、朝鮮王朝が事実上外部勢力の保護国になったのは、壬午軍乱の時です。朝鮮は中国の藩領であることを清国との条約に明示したし、中国の皇帝が命令をする形態で両国の外交関係が定立されたし、朝鮮の国王は中国に対する事大を誓ったし、中国から財政、外交顧問が派遣されて朝鮮の外交、財政権を掌握しました。これが保護国でなければ何でしょうか? 開化派が反撥したのは、まさにこのような時でした。中国からの独立、朝鮮がどのように自立するかが開化派の最大関心事だったわけですね。甲申政綱第1条に、「大院君の早急な還国」を明記したことも、独立に対する意志と見られます。
また開化派は、壬午軍乱発生の前にイギリス、アメリカ等との接触を試みました。例えば 1876年条約締結の時、国際条約の経験のない朝鮮王朝は無関税の通商條約を結ぶことになり、後でこれを悟った朝鮮王朝が改訂を要求するが日本から断られたんです。この時、開化派たちがイギリス、アメリカなどとの接触を通じて関税に対する朝鮮王朝の権利を認めるようにします。このように、アメリカとイギリス勢力を引き入れて日本と中国を牽制するというのが開化派の戦略だったのですね。壬午軍乱でつまづきはしましたが、私は、開化派の基本戦略、日本の友好的協力を期待したことも正しかったと見ます。
当時、開化派の改革が成功したらアジアの歴史は変わっていたでしょう。実際、日本は金玉均の失敗以後、中国との軍事対決の構図が不可避であることを悟って戦争準備に入って行くのですよ。もう1885年から、軍事費の一般財政に占める割合が急激に増加するようになり、1889年には、有名な「朝鮮半島は日本の国益線」(韓半島で日本が国益を確保することができなければ日本の存立は難しい)という考えが出るようになります。また日本近代思想の父と言われる福沢諭吉という人が「脱亜論」(日本はアジアを脱してヨーロッパに進出しなければならない)を主張しますが、これもやはり金玉均の失敗を見て出てきた言葉です。
甲申の変は非常に国際的な事件でした。しかし、これを支持するほどの中産階級がいなかったし、農村は性理学に基礎を置く秩序が支配していたから、成功することは難しかったのです。歴史学者たちは、とても性急だったと指摘するが、私は、今に到るまで竜山に外国軍が来ているその端緒を提供した壬午軍乱に対する危機意識がもっと重要だと思います。
イ・ヨンフン教授インタビュー(2)
投稿者 : mikasa 投稿日時 : 2006-01-01 AM 08:00 照会数 : 105 推薦数 : 8
○朝鮮王朝の実質的没落は壬午軍乱
(問) 朝鮮解体の過程で、甲申政変の勢力が外部勢力の間で温存されるほどの力がなかったと言われますが、もし内在的に甲申政変の勢力が力を確保しており、また辛未の役以前にアメリカとの連携を強化してしたら、その危機を脱することができたのではないでしょうか?
実際、そんな努力がありました。普通は1905年の乙巳條約締結で朝鮮が日本の保護国になったとされますが、朝鮮王朝が事実上外部勢力の保護国になったのは、壬午軍乱の時です。朝鮮は中国の藩領であることを清国との条約に明示したし、中国の皇帝が命令をする形態で両国の外交関係が定立されたし、朝鮮の国王は中国に対する事大を誓ったし、中国から財政、外交顧問が派遣されて朝鮮の外交、財政権を掌握しました。これが保護国でなければ何でしょうか? 開化派が反撥したのは、まさにこのような時でした。中国からの独立、朝鮮がどのように自立するかが開化派の最大関心事だったわけですね。甲申政綱第1条に、「大院君の早急な還国」を明記したことも、独立に対する意志と見られます。
また開化派は、壬午軍乱発生の前にイギリス、アメリカ等との接触を試みました。例えば 1876年条約締結の時、国際条約の経験のない朝鮮王朝は無関税の通商條約を結ぶことになり、後でこれを悟った朝鮮王朝が改訂を要求するが日本から断られたんです。この時、開化派たちがイギリス、アメリカなどとの接触を通じて関税に対する朝鮮王朝の権利を認めるようにします。このように、アメリカとイギリス勢力を引き入れて日本と中国を牽制するというのが開化派の戦略だったのですね。壬午軍乱でつまづきはしましたが、私は、開化派の基本戦略、日本の友好的協力を期待したことも正しかったと見ます。
当時、開化派の改革が成功したらアジアの歴史は変わっていたでしょう。実際、日本は金玉均の失敗以後、中国との軍事対決の構図が不可避であることを悟って戦争準備に入って行くのですよ。もう1885年から、軍事費の一般財政に占める割合が急激に増加するようになり、1889年には、有名な「朝鮮半島は日本の国益線」(韓半島で日本が国益を確保することができなければ日本の存立は難しい)という考えが出るようになります。また日本近代思想の父と言われる福沢諭吉という人が「脱亜論」(日本はアジアを脱してヨーロッパに進出しなければならない)を主張しますが、これもやはり金玉均の失敗を見て出てきた言葉です。
甲申の変は非常に国際的な事件でした。しかし、これを支持するほどの中産階級がいなかったし、農村は性理学に基礎を置く秩序が支配していたから、成功することは難しかったのです。歴史学者たちは、とても性急だったと指摘するが、私は、今に到るまで竜山に外国軍が来ているその端緒を提供した壬午軍乱に対する危機意識がもっと重要だと思います。
これは メッセージ 3231 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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