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韓国人ジャーナリストの憂国 (3)

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/06/01 03:33 投稿番号: [2407 / 7270]
〜続き〜
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  国民を守ることができるかどうか――それのみが権力の正統性を保証するが、韓国の歴代支配層を形成してきた知識人たちには、それができなかった。彼等は観念的名分論をこととし、産業・軍事を軽視して国民を守ることができなかったが、守れなかったことを正統化することには長けていたと、つぎのような比喩でその姿を描いている。

  韓国史上、主たる支配層だった儒教的知識人は、国際関係の変動期に、国防の責任を果たすことができず、国を蹂躙されるにまかせ、妻が犯されたままにしていた亭主と同じ身の上となった。無知な亭主だったら、女房に詫びて復讐の刃を研いだだろうが、論理という武器を持った知識人は違っていた。犯された妻を不定な女として追い出したり、自殺させたり、侵略された民族が侵略した民族よりも道徳的に優越しているとか、戦争は無条件に悪だ、という偽善的な平和論を開発した。

  これを読んだとき、私は「そこまで言わなくとも」という気持ちと、「ここまで言わなくてはならなかったので」という気持ちとが交錯した。後者は半年前に見た「銀馬将軍は来なかった」という韓国映画の記憶があったからかも知れない。この映画は、朝鮮戦争の時、米兵に強姦された女性の悲劇の生涯を描いたものだった。私が驚いたのは、ひどい目に遇った彼女に対し、村人は長老以下いずれも、同情するどころか、汚らわしい嫌悪の対象として村八分にするのだった。もちろん彼女を守ってやれなかったことに、負い目を覚えるような者は登場しない。「犯された妻を不浄な女として追い出したり、自殺させたり」した王朝時代の身勝手な不浄観は、いまなお健在だったのである。
  当時この映画に対して韓国では、米兵の被害者を主人公とした反米的なモチーフを織込んだ作品という角度から話題を呼んだようである。だが、主人公は米兵に陵辱されたことより、村人の冷酷な村八分の方に出口なしの絶望を覚えたのではなかったか、というような観点からの批評は出なかったようである。
  「大韓民国は戦争を決意しうる国か」という激語を発したのは、妻の貞操を(一般論としては国民の生活を)守ることができない支配者の平和論と「脈を通じる平和論が、いまこの国を支配している」と見たからであった。趙氏はつぎのような言葉で、文章を締め括っている。「戦争を決意しうる国家のみが戦争を防止することができ、戦争を決断することのできる国民だけが、責任ある市民として、正常な国を持つ資格があるのだ」。

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