こんばんわっす!
投稿者: jirai013 投稿日時: 2001/07/17 23:34 投稿番号: [8482 / 35788]
I_LoveBakaChonさんの意見には納得することも多く、反論てわけではないので「またーりモード」で聞いていただきたいのですが・・・
>「〜は中国から朝鮮半島を通って伝わった」という決まり文句はごまかしであり、日本が中国文化を身につけたのは、せっせと朝鮮文化を輸入した結果だと思っている。
http://inoues.net/yamataikoku/study/rakuroh.html上記HPより引用
”公孫氏は3世紀の初頭、楽浪郡の南部の荒れ地を分離してここに「帯方郡」を置いた。
後漢書によれば、「倭」の女王卑弥呼は、魏と親交を結ぶ前はこの帯方郡を通じて、公孫氏と外交関係を持っていた。”
<遺物の写真はHPにて>
”これらの遺跡から出土した遺物は明らかに中国製であり、「楽浪郡」を通じてこれらのムラ・クニの首長達が中国から入手したものに違いない。
(或いは、中国からの渡来人が持ってきたか。)
(中略)
日本に中国文化をもたらす窓口として、或いは中国の権威を借りてムラ・クニを納めるための御下賜品を授かりに行く通路として、ますます栄えていったと考えられる。”
中国の直轄地「楽浪郡、帯方郡」があった為、経由地という考え方もアリかと。
いや、もちろん朝鮮人も来たと思いますが。
>何度もの失敗ののちにようやく日本に渡来した鑑真の例を見れば分かるよう(略)
鑑真は国是に反する密出国だった為、行き方が限定された事が、旅を困難にしたと自分は考えます(一回目の失敗は密告ですし)。
>これは当時の宮廷で朝鮮語が話されていたことの証拠にはならない。
と、自分も思います。
両国とも中国より、文化を享受したのだから、中国語で意思疎通したのが、妥当だと自分とかは考えてしまいますね。
漢字を導入したのに、なぜ朝鮮語?これが不思議ですね。
阿倍仲麻呂が唐朝で秘書監になれたことも考えて、当時の日本の高官は中国語ができた(パーフェクトとはいわずカタコトでも)と考えるべきだと。
これは メッセージ 8469 (I_LoveBakaChon さん)への返信です.
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