ショービニズムの狂風の中で6
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/03/10 02:42 投稿番号: [868 / 3669]
19世紀の初め,ナポレオンの軍隊がドイツを侵攻したとき,哲学者フィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という演説を通じて,ナポレオンを侵略者として規定し,ドイツ民族の団結闘争を呼びかけた。同じ時期,ドイツの哲学者ヘーゲルはナポレオンの軍隊がプロイセンの古い官僚体系を徹底的に清算し,革命精神を伝播させるのを見て,ナポレオンこそ生きた世界精神であり,ドイツ国民はむしろフランス革命軍の側に立って旧体制と戦わなければならないと主張したことがある。フィヒテは内実のない民族主義を重要視したが,ヘーゲルはその侵略によって実際に行われている内容がなんなのかに注目した。
100年前の朝鮮の状況になぞらえれば,フィヒテの立場に立っていた人々は安重根や金九のような人物であり,ヘーゲルの立場に立った人々は,李完用や金玉均,朴泳孝,崔南善,李光洙などのいわゆる親日派と呼ばれる人物であろうけれども,今日,世界の歴史家たちはヘーゲルの立場に立ってナポレオンを偉大なフランス革命の守護者と見,彼の征服戦争を世界精神の活動として解釈している。
ナポレオンはクーデタで政権を握り,自ら皇帝になったが,フランス国民たちは彼を革命の真の守護者と推仰するにとどまることなく,国民投票を通じて絶対多数がナポレオンの皇帝即位をに賛成した。ナポレオンもまた,このようなフランス民衆の期待を裏切らず,征服戦争を通じて全ヨーロッパにフランス革命を伝播することに一生を捧げた。征服戦争はどれも正当だとはいえまいが,ナポレオンやジンギスカンの征服戦争は,ヘーゲルの表現どおり,生きた世界精神の活動であり,これらの征服戦争によって人類の歴史は,一段階高い次元へ前進することができた。したがって,われわれは侵略と征服の歴史を見るに際し,ある民族が他の民族を侵略し,征服することは悪だという単線的な見方を脱し,その征服の内容がいったい何であるかに注目する必要があるのだ。民族というものも,発明後まだ200年にしかならない政治イデオロギーにすぎず,現代社会ではしだいに廃棄されていきつつある旧時代の遺物であり,民族単位の自主的な存立が正当だという論理も,最近になって流行するようになった民族国家の自己合理化論理にすぎず,これが歴史を評価する基準にはなり得ないのだ。
このような面から見るとき,19世紀末のヨーロッパ人たちの植民地征服においては正当性を見いだしにくいとはいえ,日本のアジア進出には明らかに世界精神の自己具現という側面が存在するといえよう。革命を通じて,非ヨーロッパ地域で最初に近代的な社会制度を構築し,自律的にブルジョア革命を完成した日本の明治維新は,世界史においてまさに奇跡のような出来事だった。そして以後,日本の東アジア進出は西洋帝国主義の侵略戦争と異なり,搾取と収奪が目的ではなく,革命と近代精神を伝播させようという意図が前提とされており,このような点で充分な正当性をもちうるのだ。日本帝国は朝鮮と台湾において民衆を抑圧していた古い体制を清算し,近代的な法の統治を具現し,その結果日本統治地域の住民たちは文明の洗礼を受け,より人間らしい生を享受することができたのだ。
本書の刷り上がりを待つ間に,シンガポールと日本の間で自由貿易協定が締結されたという消息が耳に入り,日本の総理が「拡大東アジア共栄圏」を主唱したというニュースも聞こえてきた。二つとも,その意味が小さくない事件であり,今まさに東アジアに協力と共存の新しい時代が開きつつあることを示唆してくれるニュースだというべきだろう。同じ時刻,韓国では世界的なソプラノの美しい声としゃれた映像で装われた明成皇后のミュージックビデオが飛ぶように売れ,極右ショービニズムの狂風を実感させてくれている。
韓国社会で恣にされているこのような破廉恥な歴史歪曲と反日策動は,結局韓国という国を東アジアの孤児にしてしまいかねず,いつの日か,だれも記憶したくない恥ずかしい過去となり,歴史の傷跡として残ることになるだろう。
2002年2月 大韓民国の首都ソウルにて
(了)
100年前の朝鮮の状況になぞらえれば,フィヒテの立場に立っていた人々は安重根や金九のような人物であり,ヘーゲルの立場に立った人々は,李完用や金玉均,朴泳孝,崔南善,李光洙などのいわゆる親日派と呼ばれる人物であろうけれども,今日,世界の歴史家たちはヘーゲルの立場に立ってナポレオンを偉大なフランス革命の守護者と見,彼の征服戦争を世界精神の活動として解釈している。
ナポレオンはクーデタで政権を握り,自ら皇帝になったが,フランス国民たちは彼を革命の真の守護者と推仰するにとどまることなく,国民投票を通じて絶対多数がナポレオンの皇帝即位をに賛成した。ナポレオンもまた,このようなフランス民衆の期待を裏切らず,征服戦争を通じて全ヨーロッパにフランス革命を伝播することに一生を捧げた。征服戦争はどれも正当だとはいえまいが,ナポレオンやジンギスカンの征服戦争は,ヘーゲルの表現どおり,生きた世界精神の活動であり,これらの征服戦争によって人類の歴史は,一段階高い次元へ前進することができた。したがって,われわれは侵略と征服の歴史を見るに際し,ある民族が他の民族を侵略し,征服することは悪だという単線的な見方を脱し,その征服の内容がいったい何であるかに注目する必要があるのだ。民族というものも,発明後まだ200年にしかならない政治イデオロギーにすぎず,現代社会ではしだいに廃棄されていきつつある旧時代の遺物であり,民族単位の自主的な存立が正当だという論理も,最近になって流行するようになった民族国家の自己合理化論理にすぎず,これが歴史を評価する基準にはなり得ないのだ。
このような面から見るとき,19世紀末のヨーロッパ人たちの植民地征服においては正当性を見いだしにくいとはいえ,日本のアジア進出には明らかに世界精神の自己具現という側面が存在するといえよう。革命を通じて,非ヨーロッパ地域で最初に近代的な社会制度を構築し,自律的にブルジョア革命を完成した日本の明治維新は,世界史においてまさに奇跡のような出来事だった。そして以後,日本の東アジア進出は西洋帝国主義の侵略戦争と異なり,搾取と収奪が目的ではなく,革命と近代精神を伝播させようという意図が前提とされており,このような点で充分な正当性をもちうるのだ。日本帝国は朝鮮と台湾において民衆を抑圧していた古い体制を清算し,近代的な法の統治を具現し,その結果日本統治地域の住民たちは文明の洗礼を受け,より人間らしい生を享受することができたのだ。
本書の刷り上がりを待つ間に,シンガポールと日本の間で自由貿易協定が締結されたという消息が耳に入り,日本の総理が「拡大東アジア共栄圏」を主唱したというニュースも聞こえてきた。二つとも,その意味が小さくない事件であり,今まさに東アジアに協力と共存の新しい時代が開きつつあることを示唆してくれるニュースだというべきだろう。同じ時刻,韓国では世界的なソプラノの美しい声としゃれた映像で装われた明成皇后のミュージックビデオが飛ぶように売れ,極右ショービニズムの狂風を実感させてくれている。
韓国社会で恣にされているこのような破廉恥な歴史歪曲と反日策動は,結局韓国という国を東アジアの孤児にしてしまいかねず,いつの日か,だれも記憶したくない恥ずかしい過去となり,歴史の傷跡として残ることになるだろう。
2002年2月 大韓民国の首都ソウルにて
(了)
これは メッセージ 867 (bosintang さん)への返信です.
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