ショービニズムの狂風の中で2
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/03/10 02:13 投稿番号: [864 / 3669]
われわれは,歪曲された教育によって,乙巳条約と韓日合併が日本の強圧によって締結されたものだと思っているが,事実はこれとまったく異なる。日本と合併することのみが朝鮮の文明開化および近代化を達成しうる唯一,最善の方途であるという点については,当時の朝鮮の心ある改革勢力の間で暗黙の合意に至っていたと見え,このような強力な世論にしたがって,日本は合法的な手続きを踏んで大韓帝国の統治権を接収したと見るのが妥当だ。
そのもっとも有力な証拠が,すなわち1904年に結成された一進会だ。この団体は,東学と独立協会が連合して朝鮮王朝および守旧反動勢力を倒し,日本と連帯して文明開化という朝鮮革命の時代的課題をなし遂げるために結成された,わが国の歴史上最初の近代的な大衆政治組織だった。しかし,このような事実は,韓国社会において徹底的に隠蔽されており,韓国政府は一進会について,日本が少数の親日派たちを糾合して結成した御用似而非団体というふうに歪曲して教育している。
1904年の初めに起こった露日戦争で,東学教徒たちは教主孫秉煕の指示に従い,5万余名の兵力が参戦して日本とともに戦った。以後,東学教徒と褓負商(行商人)たちは,進歩会を結成して最初の年だけで全国38万の組織員を確保し,以後,名前を一進会と改め,独立協会系列の開化人士たちと連合して韓日合併と開化啓蒙運動を展開した。一時100万を越える膨大な組織を備えた彼らは,みずから黒い服を着て髪を短く切り,外貌でたやすく身分けられたため,保守反動勢力の集中攻撃の対象となった。一進会は,結成後日本との合併を推進し,それによって反革命勢力との内戦で数多くの一進会員たちが殺害され,建物が破壊されるという犠牲を払わなければならなかった。今日,韓国が一進会を親日団体として非難し,反動分子たちを義兵と讃えるのは,歴史を逆さまに解釈する誤りといえるだろう。
自ら乙巳年新協約の締結を主導し,朝鮮の初代統監になった伊藤博文は,政治的,経済的に日本に負担になる朝鮮合併を,けっして望まなかった。それはひとえに一進会など朝鮮の革命勢力が請願したものであり,安重根の伊藤殺害事件によって日本の世論は急速に合併へ傾き,安重根は彼が望まない方向へ愛国を行ったわけだ。一進会は,朝鮮の歴史上最大の革命組織であり軍事組織であって,朝鮮総督府さえその力を恐れ,合併後,強制的に解散させるほどに強力な,朝鮮の政治組織だった。
日本の統治によって,朝鮮は大きな発展を遂げた。30年余りの間に,一千万足らずだった人口は2500万へ増え,平均寿命は24歳から45歳へ伸び,未開な農業社会だった朝鮮は,短期間に近代的な資本主義社会へ変貌した。本土からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し,毎年日本政府からたいへんな規模の資金が導入され,各種インフラが建設された1920年代には,日本に対する米輸出によって,朝鮮には成り金が続出し,その土台の上にいわゆる「民族資本」なるものが生まれた。1920年代の朝鮮の文芸復興は,日本とまさに同じ時期に始まったものであり,今日,李光洙と崔南善に始まり,金東仁,李孝石,金永觔,尹東柱,洪蘭坡など,われわれが記憶する数多くの作家,芸術家の大部分は,この時期に登場した人物だ。
(つづく)
そのもっとも有力な証拠が,すなわち1904年に結成された一進会だ。この団体は,東学と独立協会が連合して朝鮮王朝および守旧反動勢力を倒し,日本と連帯して文明開化という朝鮮革命の時代的課題をなし遂げるために結成された,わが国の歴史上最初の近代的な大衆政治組織だった。しかし,このような事実は,韓国社会において徹底的に隠蔽されており,韓国政府は一進会について,日本が少数の親日派たちを糾合して結成した御用似而非団体というふうに歪曲して教育している。
1904年の初めに起こった露日戦争で,東学教徒たちは教主孫秉煕の指示に従い,5万余名の兵力が参戦して日本とともに戦った。以後,東学教徒と褓負商(行商人)たちは,進歩会を結成して最初の年だけで全国38万の組織員を確保し,以後,名前を一進会と改め,独立協会系列の開化人士たちと連合して韓日合併と開化啓蒙運動を展開した。一時100万を越える膨大な組織を備えた彼らは,みずから黒い服を着て髪を短く切り,外貌でたやすく身分けられたため,保守反動勢力の集中攻撃の対象となった。一進会は,結成後日本との合併を推進し,それによって反革命勢力との内戦で数多くの一進会員たちが殺害され,建物が破壊されるという犠牲を払わなければならなかった。今日,韓国が一進会を親日団体として非難し,反動分子たちを義兵と讃えるのは,歴史を逆さまに解釈する誤りといえるだろう。
自ら乙巳年新協約の締結を主導し,朝鮮の初代統監になった伊藤博文は,政治的,経済的に日本に負担になる朝鮮合併を,けっして望まなかった。それはひとえに一進会など朝鮮の革命勢力が請願したものであり,安重根の伊藤殺害事件によって日本の世論は急速に合併へ傾き,安重根は彼が望まない方向へ愛国を行ったわけだ。一進会は,朝鮮の歴史上最大の革命組織であり軍事組織であって,朝鮮総督府さえその力を恐れ,合併後,強制的に解散させるほどに強力な,朝鮮の政治組織だった。
日本の統治によって,朝鮮は大きな発展を遂げた。30年余りの間に,一千万足らずだった人口は2500万へ増え,平均寿命は24歳から45歳へ伸び,未開な農業社会だった朝鮮は,短期間に近代的な資本主義社会へ変貌した。本土からは優秀な教師が赴任して朝鮮人を教育し,毎年日本政府からたいへんな規模の資金が導入され,各種インフラが建設された1920年代には,日本に対する米輸出によって,朝鮮には成り金が続出し,その土台の上にいわゆる「民族資本」なるものが生まれた。1920年代の朝鮮の文芸復興は,日本とまさに同じ時期に始まったものであり,今日,李光洙と崔南善に始まり,金東仁,李孝石,金永觔,尹東柱,洪蘭坡など,われわれが記憶する数多くの作家,芸術家の大部分は,この時期に登場した人物だ。
(つづく)
これは メッセージ 863 (bosintang さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/864.html