朝鮮の真相(5)
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/02/16 06:38 投稿番号: [791 / 3669]
また、教師の大半は日本人で、校長もある例外を除けば全部日本人といっても過言ではない。
私立協会学校の教師もまた、日本人を多く使用しなければならないのが実情である。
前年、ソウルのキリスト教病院であるセヴランス病院が医学校の設立を決意したとき、病院は必然的に総督府の許可を申請した。
学務局長は、冷たく「駄目だ」といい、許可されなかった。
「病院の設備が貧弱すぎる」とのことだった。
「いかなる点で貧弱であるか」と問いただしたが、かれには明確にできなかった。
設備を標準的なところまでたかめるに、どういう手をうつべきであったか」。
ところが、かれは答えられなかった。
明確な勧告をしたり、その補充をどこにすべきかを明言するべきだろうが、かれにはできなかった。
ところが、設備は基準に達せず、かれはそれを遺憾とし、医学校は許可されなかったのである。
新しく組織された教授会が会合を開いた。
さいわいにも、日本の殖民地事情にくわしい教職員がおり、「われわれが直接学務局長を訪ね、「本校教授団に日本人教員数名を採用しようと思うが、学務局長の指名を願いたい」と依頼してはどうだろう」と提案した。
この案は衆議義一決され、計画はただちに実行に移された。
予想通り学務局著は微笑を浮かべ、教員の紹介を快諾したばかりか、同校の発展を希望してやまなかった。
そのため提案者は、「では設備をどの程度にしたらよいでしょうか」と無邪気にたづねた。
すると学務局長は、めんくらったようで、ためらい、それから、「その問題を再考し、設備はまったく満足すべきであることに決定した」と述べた。
事実、その学校はただちに開設された。
そして局長はにこやかであった。
日本人教師を加えるのが目的であったのだから、日本人教師は採用を条件に、学校は発足した。
しかしながら、こういったことは必ずしもこれはほど微妙なものではなく、たいていの場合、教授団に日本人が参加することが明記された前提条件となっている。
またいかなる学校であるかを問わず、いささかたりとも法令違反の行為があれば、一大恐慌である。
総督府は、「校長を日本人に改めるよ」とか、「日本人教員をもう二人増員せよ」など要求をだしてくるが、万一拒否すれば、その後無限の障害がまっているだけである。
これらの規則が官立学校で実施されているのはいうまでもないが、純然たる個人の基金によって維持されている学校でも、この制約を受けないわけにはいかない。
全国の五つの公立学校の教員のうち、82名は日本人で、朝鮮人はわずか19名にすぎない。
ゆがめられた教育に対する批判をしてきたが、さらに加えるに、量的に不十分な教育への批判がなければならない。
学校が旧韓国時代に比べてより近代的な学校になっているのは事実であるが、同時に、朝鮮人は学校のために税金を支払っている。
同様に、わずか30万に過ぎない日本人のために3万7千の児童が収容される設備がつくられる一方、約1千7百万の朝鮮人のためにわずか6万7千の児童を収容する学校設備があるにすぎないという点において、ここ朝鮮人、日本人間の差別が生じている。
また学制体系についても、朝鮮人には、修業年限4年の普通学校すなわち小学校、高等普通学校すなわち中学校、医学校・工業学校・農業学校の三つの専門学校があるだけで、しかも高等普通学校は、全国を通じて、中学校3校、女学校2校の、わずか5校にすぎないことにかんがみても、また普通の朝鮮人教育が4年のコ−スで、日本人子弟が6年であるのは、差別待遇のいましとつの好例である。
私はすでに、朝鮮人の子弟が4年の全学科過程の4分の一を日本語学習にあてていることを述べたが、残余の4分の三も、なれない言葉を媒介とする教育からしょうじてくる不可避的に遅い発展率によって効果を削減されている。
このことは、来年以降いっそう甚だしいものとなろう。
というのは、数年前に発布された条例は、「1920年1月1日以降、朝鮮人学校のあらゆる教育は、日本語でなされなくてはならない」と規定しているからである。
すなわち、朝鮮語の使用が、授業中は完全にさえぎられるのであろう。
もしこの法律が効力をもつとーその撤回のきざしは今のところみえないのだがーミッションスクールのイギリス人、アメリカ人教師は、へりくだって日本語を学習するか、さもなければ教職を擲たねばならないだろう。
というのは、かれらはすべて、朝鮮語をはなすのだが、日本語で講義できるほどに日本語をしっていないからである。
私立協会学校の教師もまた、日本人を多く使用しなければならないのが実情である。
前年、ソウルのキリスト教病院であるセヴランス病院が医学校の設立を決意したとき、病院は必然的に総督府の許可を申請した。
学務局長は、冷たく「駄目だ」といい、許可されなかった。
「病院の設備が貧弱すぎる」とのことだった。
「いかなる点で貧弱であるか」と問いただしたが、かれには明確にできなかった。
設備を標準的なところまでたかめるに、どういう手をうつべきであったか」。
ところが、かれは答えられなかった。
明確な勧告をしたり、その補充をどこにすべきかを明言するべきだろうが、かれにはできなかった。
ところが、設備は基準に達せず、かれはそれを遺憾とし、医学校は許可されなかったのである。
新しく組織された教授会が会合を開いた。
さいわいにも、日本の殖民地事情にくわしい教職員がおり、「われわれが直接学務局長を訪ね、「本校教授団に日本人教員数名を採用しようと思うが、学務局長の指名を願いたい」と依頼してはどうだろう」と提案した。
この案は衆議義一決され、計画はただちに実行に移された。
予想通り学務局著は微笑を浮かべ、教員の紹介を快諾したばかりか、同校の発展を希望してやまなかった。
そのため提案者は、「では設備をどの程度にしたらよいでしょうか」と無邪気にたづねた。
すると学務局長は、めんくらったようで、ためらい、それから、「その問題を再考し、設備はまったく満足すべきであることに決定した」と述べた。
事実、その学校はただちに開設された。
そして局長はにこやかであった。
日本人教師を加えるのが目的であったのだから、日本人教師は採用を条件に、学校は発足した。
しかしながら、こういったことは必ずしもこれはほど微妙なものではなく、たいていの場合、教授団に日本人が参加することが明記された前提条件となっている。
またいかなる学校であるかを問わず、いささかたりとも法令違反の行為があれば、一大恐慌である。
総督府は、「校長を日本人に改めるよ」とか、「日本人教員をもう二人増員せよ」など要求をだしてくるが、万一拒否すれば、その後無限の障害がまっているだけである。
これらの規則が官立学校で実施されているのはいうまでもないが、純然たる個人の基金によって維持されている学校でも、この制約を受けないわけにはいかない。
全国の五つの公立学校の教員のうち、82名は日本人で、朝鮮人はわずか19名にすぎない。
ゆがめられた教育に対する批判をしてきたが、さらに加えるに、量的に不十分な教育への批判がなければならない。
学校が旧韓国時代に比べてより近代的な学校になっているのは事実であるが、同時に、朝鮮人は学校のために税金を支払っている。
同様に、わずか30万に過ぎない日本人のために3万7千の児童が収容される設備がつくられる一方、約1千7百万の朝鮮人のためにわずか6万7千の児童を収容する学校設備があるにすぎないという点において、ここ朝鮮人、日本人間の差別が生じている。
また学制体系についても、朝鮮人には、修業年限4年の普通学校すなわち小学校、高等普通学校すなわち中学校、医学校・工業学校・農業学校の三つの専門学校があるだけで、しかも高等普通学校は、全国を通じて、中学校3校、女学校2校の、わずか5校にすぎないことにかんがみても、また普通の朝鮮人教育が4年のコ−スで、日本人子弟が6年であるのは、差別待遇のいましとつの好例である。
私はすでに、朝鮮人の子弟が4年の全学科過程の4分の一を日本語学習にあてていることを述べたが、残余の4分の三も、なれない言葉を媒介とする教育からしょうじてくる不可避的に遅い発展率によって効果を削減されている。
このことは、来年以降いっそう甚だしいものとなろう。
というのは、数年前に発布された条例は、「1920年1月1日以降、朝鮮人学校のあらゆる教育は、日本語でなされなくてはならない」と規定しているからである。
すなわち、朝鮮語の使用が、授業中は完全にさえぎられるのであろう。
もしこの法律が効力をもつとーその撤回のきざしは今のところみえないのだがーミッションスクールのイギリス人、アメリカ人教師は、へりくだって日本語を学習するか、さもなければ教職を擲たねばならないだろう。
というのは、かれらはすべて、朝鮮語をはなすのだが、日本語で講義できるほどに日本語をしっていないからである。
これは メッセージ 779 (Kmechan さん)への返信です.
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