ユスラさん
投稿者: bosintang 投稿日時: 2002/02/16 00:04 投稿番号: [790 / 3669]
>>明治維新以降、日本は遅ればせながらようやく儒教的中央集権国家をつくりはじめた。
>明治日本の基本は武家社会ですよ.武家社会は陽明学と禅の思想で成り立った社会.
>>儒者が政治を担わぬ儒教国家はありえない。
>と
>>日本は遅ればせながらようやく儒教的中央集権国家をつくりはじめた。
>とが矛盾していることにすら気付かないこの著者は終わっている.
>明治新政府の誰が儒者?
著者は、「儒教国家」と「儒教的国家」を使い分けているのだと思います。
原文を見てみましょう(この部分のKmechanの引用はほぼ正確)。
「日本は明治以降に儒教国家化の完成を目指す(小見出し)
普通、江戸時代の日本は儒教国家であり、明治維新でそれを打倒して西欧近代的な国家体制を作った、と考えられている。しかしこのような歴史把握は、根本的に誤りだ。
江戸時代の日本は儒教国家ではなかった。儒者が政治を担わぬ儒教国家はありえない。
ただし明治維新を成し遂げたのは、儒教的変革主義者たちである。日本は完全な儒教国家でなく、しかも多様な急進的儒教主義者が存在したことが、明治維新を可能にした。
明治維新以降、日本は遅ればせながらようやく儒教的中央集権国家をつくりはじめた。
明治の近代日本は、封建体制からの脱皮ではあったが、儒教体制からの脱皮をはかったものではない。むしろ日本全体の儒教国家化を、西欧の理念を摂取して推進したのだ。
明治期に中央集権・国家試験による官僚選抜などを推進したのも、国家を全体的に儒教体制化する動きだった。
これとは別に自由民権運動は、「言論の自由」「国民の政治的主体性」(それらは士大夫の権利である)などを主張して、日本の儒教社会化を推進した。
明治初期のイデオローグから共産主義者や超国家主義者を経て、1960年代の学生運動家に連なる系譜。彼らは明治以降に儒教的な〈知〉と権力のダイナミックな関係を初めて知った人びととその裔(すえ)たちであり、道徳志向的な人々であった。
それは、日本で道徳が青くさかった、稀なる一世紀の物語である」
明治はいうまでもなく、江戸時代の日本も「儒教国家」ではなかった。しかし、明治以降は「儒教的」と言える面があった。
ここで、「儒教的」とは、ある思想(=〈理〉)をもとに国造りを進めるやり方のことだと思います。
著者は別のページで、「李退渓を始めとする朝鮮朱子学の影響を深く受けた『教育勅語』などの明治理念が……」のような物言いをしているところからみて、その〈理〉とは国家神道のことなのでしょう。
また陽明学については、
「朝鮮(および中国でも)において学問とは、世界を解釈して、同時に変革し、さらに支配するためのものであった。これこそが哲学である。
朝鮮は陽明学を断固流行らせなかった。「性即理」という朱子学のテーゼを「心即理」と陽明学的に一文字変えただけで、権力の中枢が一気に転覆してしまうのであった。
朝鮮哲学は中国哲学より独創性は圧倒的に少なかったが、人間の心や社会をどう捉えるかを巡る針の穴のように細かな議論が、強大なる爆弾となって権力中枢を脅かすというラジカルさは、中国よりも徹底していた」
と書いています。
このあと、朱子学のキーワードである〈理〉と〈気〉によって、韓国の歴史、文化、現代社会まで、縦横に解き明かしていくわけですが、私は面白く読みました。
Kmechanの引用部分だけでなく、ぜひ全体をお読みください。某トピの、つくる会教科書を読まずに批判する連中と同じ穴のムジナにならないように(笑)。
※ それにしても因数分解、お疲れさまでした。あそこは消耗するだけで得るところが少ないので最近は書きません。ときどき覗いてはいますが。
>明治日本の基本は武家社会ですよ.武家社会は陽明学と禅の思想で成り立った社会.
>>儒者が政治を担わぬ儒教国家はありえない。
>と
>>日本は遅ればせながらようやく儒教的中央集権国家をつくりはじめた。
>とが矛盾していることにすら気付かないこの著者は終わっている.
>明治新政府の誰が儒者?
著者は、「儒教国家」と「儒教的国家」を使い分けているのだと思います。
原文を見てみましょう(この部分のKmechanの引用はほぼ正確)。
「日本は明治以降に儒教国家化の完成を目指す(小見出し)
普通、江戸時代の日本は儒教国家であり、明治維新でそれを打倒して西欧近代的な国家体制を作った、と考えられている。しかしこのような歴史把握は、根本的に誤りだ。
江戸時代の日本は儒教国家ではなかった。儒者が政治を担わぬ儒教国家はありえない。
ただし明治維新を成し遂げたのは、儒教的変革主義者たちである。日本は完全な儒教国家でなく、しかも多様な急進的儒教主義者が存在したことが、明治維新を可能にした。
明治維新以降、日本は遅ればせながらようやく儒教的中央集権国家をつくりはじめた。
明治の近代日本は、封建体制からの脱皮ではあったが、儒教体制からの脱皮をはかったものではない。むしろ日本全体の儒教国家化を、西欧の理念を摂取して推進したのだ。
明治期に中央集権・国家試験による官僚選抜などを推進したのも、国家を全体的に儒教体制化する動きだった。
これとは別に自由民権運動は、「言論の自由」「国民の政治的主体性」(それらは士大夫の権利である)などを主張して、日本の儒教社会化を推進した。
明治初期のイデオローグから共産主義者や超国家主義者を経て、1960年代の学生運動家に連なる系譜。彼らは明治以降に儒教的な〈知〉と権力のダイナミックな関係を初めて知った人びととその裔(すえ)たちであり、道徳志向的な人々であった。
それは、日本で道徳が青くさかった、稀なる一世紀の物語である」
明治はいうまでもなく、江戸時代の日本も「儒教国家」ではなかった。しかし、明治以降は「儒教的」と言える面があった。
ここで、「儒教的」とは、ある思想(=〈理〉)をもとに国造りを進めるやり方のことだと思います。
著者は別のページで、「李退渓を始めとする朝鮮朱子学の影響を深く受けた『教育勅語』などの明治理念が……」のような物言いをしているところからみて、その〈理〉とは国家神道のことなのでしょう。
また陽明学については、
「朝鮮(および中国でも)において学問とは、世界を解釈して、同時に変革し、さらに支配するためのものであった。これこそが哲学である。
朝鮮は陽明学を断固流行らせなかった。「性即理」という朱子学のテーゼを「心即理」と陽明学的に一文字変えただけで、権力の中枢が一気に転覆してしまうのであった。
朝鮮哲学は中国哲学より独創性は圧倒的に少なかったが、人間の心や社会をどう捉えるかを巡る針の穴のように細かな議論が、強大なる爆弾となって権力中枢を脅かすというラジカルさは、中国よりも徹底していた」
と書いています。
このあと、朱子学のキーワードである〈理〉と〈気〉によって、韓国の歴史、文化、現代社会まで、縦横に解き明かしていくわけですが、私は面白く読みました。
Kmechanの引用部分だけでなく、ぜひ全体をお読みください。某トピの、つくる会教科書を読まずに批判する連中と同じ穴のムジナにならないように(笑)。
※ それにしても因数分解、お疲れさまでした。あそこは消耗するだけで得るところが少ないので最近は書きません。ときどき覗いてはいますが。
これは メッセージ 768 (yusura_sdhk さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1_1/790.html