3・1運動、その未完の片側革命④
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/12/30 18:59 投稿番号: [380 / 3669]
ここまで読んでくると、筆者を、親日派豚足野郎であるうえに、思想性の疑わしいアカ野郎、くらいに考える読者がいらっしゃるかもしれないので、説明してさしあげる。筆者は、すでに歴史的に死刑宣告を受けた社会主義思想には、いかなる関心ももたない人間だ。ただ、同じ民族独立という目標に向かって身を捧げた多くの社会主義系列の独立運動家たちが、イデオロギーの葛藤という悲劇的な祖国分断の現実によって忘れられていくことを惜しく思うだけだ。すでに述べたことだが、筆者が求めるのは、少しでも事実に近い歴史的真実だ。どんな思想をもち、どんな政治的立場に固執していたのであろうと、民族の自主独立のために献身した者たちを記憶しておいてやるのは、後孫たるわれわれの義務ではないか?
もちろん国史(下)では、162ページで社会主義系列の独立運動について、いちおう言及してやってはいる。しかし、むしろ社会主義系列の独立運動の限界を強調する文を挿入し、社会主義系列の独立運動史的位置を格下げしている。
「……しかし社会主義運動は、その路線によって利害を異にする系列があり、摩擦と葛藤が深まっていき、ひいては民族主義運動とは思想的な理念と路線の違いによって対立が激化し、民族運動自体に大きな蹉跌を招いた」
上の「路線の違い」というのは、アナキズムとボルシェビズムの間の激烈なアナ−ボル論争のことだが、独立運動系列の分裂を助長するほど激烈な論争ではなかった。その次の「民族主義運動との思想的な理念の違い」という部分は、一部の民族主義者たちの「実力養成論」に対する社会主義者たちの反発のことだ。
実力養成論というのは、一部地主階級と資本家階級が自分たちの既得権を守るために社会主義の過激な「革命論」を排除し、まだ実力の足りない民族に力をつけ、いつかは独立を成就しようという、植民地支配の正当性をある程度擁護した模糊とした論理でもあった。それで何だって? 独立運動がうまくいかなかったのは、全部社会主義者たちの責任だって?
故意に独立運動から社会主義者たちを徹底排除しようとする意図は、別のところでも見てとれる。国史(下)167ページには、次のような文章がある。
「労働運動は、主に日帝の植民地工業化推進にともなう過酷な労働条件のせいで起こった。労働争議は、安い賃金と劣悪な労働条件が主要な争点だったが、ストが展開されると、例外なく警察が介入し失敗に終わる場合が大部分だった。争議が起こったところは、大部分が日本人経営の工場だったので、争議は、反帝、反日闘争としての政治的性格を帯びた」
不幸にも当時、日本領朝鮮には労組が成立するほどに大きい工場を所有していた民族資本が存在しなかった。それまでは小規模の工場が大部分だったので、当然朝鮮人所有の工場では労働争議が発生する余地がなかった。それゆえ当然労働争議を反帝、反日闘争として規定する国史(下)の論調は歪曲だ。この時期の労働運動は当然社会主義系列の「プロレタリアート革命論」の反資本主義運動の一環だ。すなわち国史教科書の記述は、いきすぎた「反日」的オーバーということだ。
(つづく)
もちろん国史(下)では、162ページで社会主義系列の独立運動について、いちおう言及してやってはいる。しかし、むしろ社会主義系列の独立運動の限界を強調する文を挿入し、社会主義系列の独立運動史的位置を格下げしている。
「……しかし社会主義運動は、その路線によって利害を異にする系列があり、摩擦と葛藤が深まっていき、ひいては民族主義運動とは思想的な理念と路線の違いによって対立が激化し、民族運動自体に大きな蹉跌を招いた」
上の「路線の違い」というのは、アナキズムとボルシェビズムの間の激烈なアナ−ボル論争のことだが、独立運動系列の分裂を助長するほど激烈な論争ではなかった。その次の「民族主義運動との思想的な理念の違い」という部分は、一部の民族主義者たちの「実力養成論」に対する社会主義者たちの反発のことだ。
実力養成論というのは、一部地主階級と資本家階級が自分たちの既得権を守るために社会主義の過激な「革命論」を排除し、まだ実力の足りない民族に力をつけ、いつかは独立を成就しようという、植民地支配の正当性をある程度擁護した模糊とした論理でもあった。それで何だって? 独立運動がうまくいかなかったのは、全部社会主義者たちの責任だって?
故意に独立運動から社会主義者たちを徹底排除しようとする意図は、別のところでも見てとれる。国史(下)167ページには、次のような文章がある。
「労働運動は、主に日帝の植民地工業化推進にともなう過酷な労働条件のせいで起こった。労働争議は、安い賃金と劣悪な労働条件が主要な争点だったが、ストが展開されると、例外なく警察が介入し失敗に終わる場合が大部分だった。争議が起こったところは、大部分が日本人経営の工場だったので、争議は、反帝、反日闘争としての政治的性格を帯びた」
不幸にも当時、日本領朝鮮には労組が成立するほどに大きい工場を所有していた民族資本が存在しなかった。それまでは小規模の工場が大部分だったので、当然朝鮮人所有の工場では労働争議が発生する余地がなかった。それゆえ当然労働争議を反帝、反日闘争として規定する国史(下)の論調は歪曲だ。この時期の労働運動は当然社会主義系列の「プロレタリアート革命論」の反資本主義運動の一環だ。すなわち国史教科書の記述は、いきすぎた「反日」的オーバーということだ。
(つづく)
これは メッセージ 379 (bosintang さん)への返信です.
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