Re: 日韓外交史料
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2008/02/17 03:19 投稿番号: [3361 / 3669]
>発行部数も多くはない好事家のヨタ本であっても、時と場所を得れば喧伝されることが少なくはないんですよねぇ。加治将一の「坂本竜馬はフリーメーソンの傀儡だった」みたいなヤツとか…テレビ東京の「超歴史ミステリーロマン」とか日テレの「時空警察」もそれに等しいなぁ。
余談ついでの話ですが、NHKの「その時歴史は〜」で、明智光秀を影で信長襲撃に向かわせたのは足利義昭だったかも!、なんていうのも、ちょっとなあ、と思いました。
歴史は、時代が古ければ古いほど、ジグソーパズルのピースを懸命に探してはめこむ作業だとは思いますが、推理小説にしてはいかんと思います。
あと、これまたNHKですが、『日本書紀』の継体天皇の記述で、「ヲホドノオオキミは胡坐をかいて…」という部分で、胡坐は北方騎馬民族の座り方だからと、さも継体天皇が外来民族出身であるかのようなニュアンスでナレーションを入れるのは、ちょっと待ちなさい、と感じました。
「胡」の座り方だから北方民族の専売特許かい?とツッコミたくなったものです。
>ミュージシャン或いは音楽に係る記述のように、記述者の主観が多くを占めるおそれのある史料って、非常に取扱が難しいと考えます。史料の記述者の立っている位置や時代的背景などを慎重に考慮して史料批判しなきゃならんのですから。まずは素直に史料を読むことが第一だとは思いますが。
ええ、まず、くだんのミュージシャンには伝記本が一冊ありますが、その中で「資料」と言える部分は約半分と見積もりました。残り半分は、筆者の「分析」だったり「意見」だったりして、個人的に参考にはしますが、引用は出来ないと判断しました。
そのミュージシャンは伝説的ではあるものの、その活動内容を公的に証明するものはごく僅かで、あとは同時代の元同僚や、関わりのあった人々の証言のみなんです。せいぜい、東洲斎写楽よりは像がハッキリしている、とは言えますが。
それらを照らし合わせて、矛盾が生じないものをパズルのようにアタマの中でつむいでいるところです。
また、業界の御用ライターが書いた本だからと完全に切り捨てるのも、批判的な立場で書いているからと信じ切るのも慎んでいます。
思うに文献や資料は玉石混淆であり、とにかく東亜さんのおっしゃるようにまずは「素直に読む」事が第一段階でしょうね。
また、(これは全ての分野に言える事ですが)本人はウソのつもりで言ってなく、且つ確信を持って発言していても、長い年月を経て記憶がどこかで変わってしまって結果的にウソになっている例も見受けられます。(ワタシ自身にもそういう経験があります。)
もう一つ、故ジョン・レノンの先妻であるシンシア・パウェルの発言で、「私がインタビューを受けると、その後、雑誌などに私の発言のほんの一部が大見出しでタイトルとして載って、それがさも私の発言の全てであるかのようなレイアウトになっていたりして、不愉快になった事がある。それ以来、インタビューは受けない事にした」というのがあります。(印象操作の事ですね。)
これで思い出すのが、例の『新撰姓氏録』の敏達天皇についての「孫は百済王」という部分だけで皇室が百済系と思い込んだり、『神皇正統記』の「昔日本は三韓と同種なりと云ふ事の有りしが〜」だけをトリミングして皇室渡来人説をとなえたりするシトがいる事です。
>そういうわけで、自分自身の知識の「点検」とそれに伴う「更新」は絶えずおこなっていくべきかと。
そのほうが頭脳のトレーニングにもなって楽しいですし。
実にそうありたいと、思っております。
余談ついでの話ですが、NHKの「その時歴史は〜」で、明智光秀を影で信長襲撃に向かわせたのは足利義昭だったかも!、なんていうのも、ちょっとなあ、と思いました。
歴史は、時代が古ければ古いほど、ジグソーパズルのピースを懸命に探してはめこむ作業だとは思いますが、推理小説にしてはいかんと思います。
あと、これまたNHKですが、『日本書紀』の継体天皇の記述で、「ヲホドノオオキミは胡坐をかいて…」という部分で、胡坐は北方騎馬民族の座り方だからと、さも継体天皇が外来民族出身であるかのようなニュアンスでナレーションを入れるのは、ちょっと待ちなさい、と感じました。
「胡」の座り方だから北方民族の専売特許かい?とツッコミたくなったものです。
>ミュージシャン或いは音楽に係る記述のように、記述者の主観が多くを占めるおそれのある史料って、非常に取扱が難しいと考えます。史料の記述者の立っている位置や時代的背景などを慎重に考慮して史料批判しなきゃならんのですから。まずは素直に史料を読むことが第一だとは思いますが。
ええ、まず、くだんのミュージシャンには伝記本が一冊ありますが、その中で「資料」と言える部分は約半分と見積もりました。残り半分は、筆者の「分析」だったり「意見」だったりして、個人的に参考にはしますが、引用は出来ないと判断しました。
そのミュージシャンは伝説的ではあるものの、その活動内容を公的に証明するものはごく僅かで、あとは同時代の元同僚や、関わりのあった人々の証言のみなんです。せいぜい、東洲斎写楽よりは像がハッキリしている、とは言えますが。
それらを照らし合わせて、矛盾が生じないものをパズルのようにアタマの中でつむいでいるところです。
また、業界の御用ライターが書いた本だからと完全に切り捨てるのも、批判的な立場で書いているからと信じ切るのも慎んでいます。
思うに文献や資料は玉石混淆であり、とにかく東亜さんのおっしゃるようにまずは「素直に読む」事が第一段階でしょうね。
また、(これは全ての分野に言える事ですが)本人はウソのつもりで言ってなく、且つ確信を持って発言していても、長い年月を経て記憶がどこかで変わってしまって結果的にウソになっている例も見受けられます。(ワタシ自身にもそういう経験があります。)
もう一つ、故ジョン・レノンの先妻であるシンシア・パウェルの発言で、「私がインタビューを受けると、その後、雑誌などに私の発言のほんの一部が大見出しでタイトルとして載って、それがさも私の発言の全てであるかのようなレイアウトになっていたりして、不愉快になった事がある。それ以来、インタビューは受けない事にした」というのがあります。(印象操作の事ですね。)
これで思い出すのが、例の『新撰姓氏録』の敏達天皇についての「孫は百済王」という部分だけで皇室が百済系と思い込んだり、『神皇正統記』の「昔日本は三韓と同種なりと云ふ事の有りしが〜」だけをトリミングして皇室渡来人説をとなえたりするシトがいる事です。
>そういうわけで、自分自身の知識の「点検」とそれに伴う「更新」は絶えずおこなっていくべきかと。
そのほうが頭脳のトレーニングにもなって楽しいですし。
実にそうありたいと、思っております。
これは メッセージ 3360 (toapanlang さん)への返信です.
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