韓国人の手による韓国教科書批判6
投稿者: bosintang 投稿日時: 2001/07/20 21:50 投稿番号: [154 / 3669]
しかし,李丙ド先生の一生は,典型的な植民地知識人のそれであったことは間違いない。彼の略歴を簡単にたどってみよう。
〈要約〉
1896年に生まれ,韓国の亡国を目の当たりにしながら育った。1915年に日本に渡り早稲田大学を卒業。23歳で祖国に戻り教職につく。29歳で総督府朝鮮史編纂委員会委員になって出世街道を歩む。34年,38歳で震檀学会理事長就任。45年,49歳でソウル大学教授。59年,解放後初めての通史「韓国史」を編纂。60年,文教部長官(=文部大臣)。89年死去。
弱小国に生まれ,植民地時代に青春を送り,新生独立国の祖国のために献身した典型的植民地知識人だった。
ならば,このような彼の生きざまがわれわれの歴史教科書にどのように投影されているのか?
先に述べたとおり,李丙ド先生は29歳で朝鮮総督府朝鮮史編纂委員会の委員になった。ときに私は今年28歳,私が李丙ド先生なら,来年朝鮮史編纂委員になるはずだ。今ならどこかの大学でしがない講師をしているべき29歳の李丙ド先生が,いかなる学問的業績をあげていただろうか? 結局,彼がなぜ朝鮮史編纂委員になったかは,わかりきった話だ。青年李丙ドという人物は,言われたことをハイハイよく聞き,まだ純真な朝鮮の知識人で,総督府が扱いやすい人物として選抜されたにすぎず,実質的にはいかなる影響力も彼にはなかったのだ。
しかし,この肩書は,結局,一生涯彼に重い苦悩を課した。青年李丙ドは29の歳に,出世と名誉のため,自分の高貴な魂を売ってしまった。彼には一生「親日派」というレッテルがつきまとうようになったのだ。ああ,この不憫な男よ。
親日派という宿命的なレッテルをひきずることになる李丙ドは,その後もうまくやった。勢いにのって頑張った。頭もよく,学問的成果も出した。ところが突然,戦争で日本のやつらが米国のやつらに負けちゃった。たった2発の原爆にお手上げ!
解放だ。
解放されるやいなや,親日派への大々的粛清(現在では不徹底だったことが明らかになっている)が進められた。こんな熱風の中でも,親日派のレッテルが張られていた李丙ドは生き残った。どこで生き残ったかって? ソウル大学教授になり,震檀学会理事長になり,解放後最初の通史「韓国史」を著し,以後文教部長官にまでのぼりつめた。
解放後の混乱期,李丙ド先生には,たいへん多くの敵(主に社会主義系列の史学者と民族主義史学者)が存在した。しかし,李丙ド先生はこれら多くの敵を押し返し,最後まで生き残ったのだ。
どうやって? それは今現在の歴史教科書をみればわかる。
いまや皆さんも,うすうす気がついてきたことと思う。こちこちの石頭でなければ,はっきりわかるだろう。
大韓民国の歴史教科書は親日コンプレックスをもっている大韓民国の主流社會の弱点をカバーするために,植民地時代関係史を歪曲しているのだ!!!
〈要約〉
1896年に生まれ,韓国の亡国を目の当たりにしながら育った。1915年に日本に渡り早稲田大学を卒業。23歳で祖国に戻り教職につく。29歳で総督府朝鮮史編纂委員会委員になって出世街道を歩む。34年,38歳で震檀学会理事長就任。45年,49歳でソウル大学教授。59年,解放後初めての通史「韓国史」を編纂。60年,文教部長官(=文部大臣)。89年死去。
弱小国に生まれ,植民地時代に青春を送り,新生独立国の祖国のために献身した典型的植民地知識人だった。
ならば,このような彼の生きざまがわれわれの歴史教科書にどのように投影されているのか?
先に述べたとおり,李丙ド先生は29歳で朝鮮総督府朝鮮史編纂委員会の委員になった。ときに私は今年28歳,私が李丙ド先生なら,来年朝鮮史編纂委員になるはずだ。今ならどこかの大学でしがない講師をしているべき29歳の李丙ド先生が,いかなる学問的業績をあげていただろうか? 結局,彼がなぜ朝鮮史編纂委員になったかは,わかりきった話だ。青年李丙ドという人物は,言われたことをハイハイよく聞き,まだ純真な朝鮮の知識人で,総督府が扱いやすい人物として選抜されたにすぎず,実質的にはいかなる影響力も彼にはなかったのだ。
しかし,この肩書は,結局,一生涯彼に重い苦悩を課した。青年李丙ドは29の歳に,出世と名誉のため,自分の高貴な魂を売ってしまった。彼には一生「親日派」というレッテルがつきまとうようになったのだ。ああ,この不憫な男よ。
親日派という宿命的なレッテルをひきずることになる李丙ドは,その後もうまくやった。勢いにのって頑張った。頭もよく,学問的成果も出した。ところが突然,戦争で日本のやつらが米国のやつらに負けちゃった。たった2発の原爆にお手上げ!
解放だ。
解放されるやいなや,親日派への大々的粛清(現在では不徹底だったことが明らかになっている)が進められた。こんな熱風の中でも,親日派のレッテルが張られていた李丙ドは生き残った。どこで生き残ったかって? ソウル大学教授になり,震檀学会理事長になり,解放後最初の通史「韓国史」を著し,以後文教部長官にまでのぼりつめた。
解放後の混乱期,李丙ド先生には,たいへん多くの敵(主に社会主義系列の史学者と民族主義史学者)が存在した。しかし,李丙ド先生はこれら多くの敵を押し返し,最後まで生き残ったのだ。
どうやって? それは今現在の歴史教科書をみればわかる。
いまや皆さんも,うすうす気がついてきたことと思う。こちこちの石頭でなければ,はっきりわかるだろう。
大韓民国の歴史教科書は親日コンプレックスをもっている大韓民国の主流社會の弱点をカバーするために,植民地時代関係史を歪曲しているのだ!!!
これは メッセージ 153 (bosintang さん)への返信です.
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