卜鉅一『死者たちのための弁護』
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/08/26 11:37 投稿番号: [1496 / 3669]
金完燮『親日派のための弁明』に続く,日帝時代肯定論,第二弾
韓国日報2003年8月8日
当時親日は不可避だった?
卜鉅一著『死者たちのための弁護』
日帝時代の親日行為,親日派を罰しようという主張は妥当か。有名作家卜鉅一(ポク・コイル)氏が挑発的な問いを投げかける。
新刊『死者たちのための弁護』で彼は「日帝の植民統治はきわめて過酷だったため,親日は不可避であり,したがって現在の論理で親日派を断罪するのは無理」と主張する。
一歩踏み込んで「親日派の断罪がわれわれの社会に役立つと見る根拠がなく,われわれの体制の正当性を損なうもの」と言う。また「植民統治の本質的制約と弊害にもかかわらず,日帝時代,朝鮮人たちの生活は相当よかった」と言う。この本は,日本の極右勢力の妄言のように聞こえるこれらの発言に満ち,少なからぬ論議を呼ぶものと見られる。
本の重点は,日帝植民統治の再評価にある。彼は,全534ページのうち,3分の1を割いて,日帝時代の人口趨勢・貿易額・工業生産などの計量的資料から植民地時代の肯定的側面を浮き彫りにしている。代表的な例としてあげられているのが人口増加だ。本は,「植民地期,朝鮮人の人口は,1910年の13,128,780人から1942年の25,525,409人へ,94.9%増えた」とし,これから見て「当時の朝鮮人たちは,朝鮮時代よりずっとよい暮らしをしただけでなく,物質的条件に限れば,同時期の他の国の人々に実質的にひけをとらない生活をした」というのだ。
親日問題に関しては,彼は日帝強占期の「親日」は本質的に「親体制」だったと強調し,必ず処罰すべき親日行為は「不法かつ自発的に朝鮮人を苦しめた」行為,すなわち独立運動家の拷問や女性たちを軍慰安婦に動員した行為程度に局限すべきと主張する。たとえば朝鮮人青年に向かって日本軍に志願しろと煽った行為は,「朝鮮人が日本帝国の市民だった当時としては,兵役義務を履行しろという愛国的,合法的な発言」だったというのだ。
親日派処断の妥当性と効用に疑問を提起する一方で,彼は親日派断罪の道徳的権威も否定する。軍部独裁時代,権力の圧力に屈して「龍飛御天歌」を奉じる(御用記事を書く)ことを拒否した言論人がさほど多くないわれわれの世代が,どのように彼らを非難できるかというのだ。「罪なき者,石を投げろ」は,一種の「共犯論」だ。
自身の主張が起こすであろう波紋をよく知りながらも,このような本を書いたことについて,彼は「日本に対する恨,劣等感,民族主義的偏向から抜け出し,日本,日帝時代を客観的に見ることを促すため」と打ち明ける。しかし,このような主張は,情緒的反感をおいても客観的根拠が薄弱だという反駁に遭っている。
金ミンチョル民族問題研究所研究室長は「日帝時代の人口増加は近代期の一般的現象で,日帝の植民統治がよかった結果と見ることはできない」と指摘する。また「朝鮮が崩壊し,人口統計システムもくずれたため,1934年の国勢調査以前の人口統計は信用のおけない不正確な資料であるというのが学界の通説」と説明し,卜氏が提示した1910年比94.4%という人口増加率は事実ではないと指摘する。
彼は「日帝時代が「まあまあの地獄」だったという卜氏の主張は,日帝の植民支配を正当化(合理化)するものであり,親日の不可避性や親日派断罪の共犯論を強調するのは,本当に断罪すべき親日派に免罪符を与えること」と批判する。(親日派として糾弾される)死んだ者たちを弁護するのに先立って,彼らの謝罪と反省がまずなければならないというのだ。
記者の読後感は,この本が客観を装った危険な詭弁に近いというものだ。著者は結びの言葉で「「社会的悪漢」を弁護することには,道徳的勇気と知的努力が必要だ」とし,(自身の主張のような)「社会的少数意見も擁護されなければならない」と書いている。しかし,植民支配の暗い遺産が,半世紀が過ぎても,われわれの社会のそこかしこに根深く残っているのをみるとき,彼が並べ立てている「死者たちのための弁護」は抗日先烈(殉国者)だけでなく「生きている者に対する冒涜」のように聞こえる。
オ・ミンファン記者
韓国日報2003年8月8日
当時親日は不可避だった?
卜鉅一著『死者たちのための弁護』
日帝時代の親日行為,親日派を罰しようという主張は妥当か。有名作家卜鉅一(ポク・コイル)氏が挑発的な問いを投げかける。
新刊『死者たちのための弁護』で彼は「日帝の植民統治はきわめて過酷だったため,親日は不可避であり,したがって現在の論理で親日派を断罪するのは無理」と主張する。
一歩踏み込んで「親日派の断罪がわれわれの社会に役立つと見る根拠がなく,われわれの体制の正当性を損なうもの」と言う。また「植民統治の本質的制約と弊害にもかかわらず,日帝時代,朝鮮人たちの生活は相当よかった」と言う。この本は,日本の極右勢力の妄言のように聞こえるこれらの発言に満ち,少なからぬ論議を呼ぶものと見られる。
本の重点は,日帝植民統治の再評価にある。彼は,全534ページのうち,3分の1を割いて,日帝時代の人口趨勢・貿易額・工業生産などの計量的資料から植民地時代の肯定的側面を浮き彫りにしている。代表的な例としてあげられているのが人口増加だ。本は,「植民地期,朝鮮人の人口は,1910年の13,128,780人から1942年の25,525,409人へ,94.9%増えた」とし,これから見て「当時の朝鮮人たちは,朝鮮時代よりずっとよい暮らしをしただけでなく,物質的条件に限れば,同時期の他の国の人々に実質的にひけをとらない生活をした」というのだ。
親日問題に関しては,彼は日帝強占期の「親日」は本質的に「親体制」だったと強調し,必ず処罰すべき親日行為は「不法かつ自発的に朝鮮人を苦しめた」行為,すなわち独立運動家の拷問や女性たちを軍慰安婦に動員した行為程度に局限すべきと主張する。たとえば朝鮮人青年に向かって日本軍に志願しろと煽った行為は,「朝鮮人が日本帝国の市民だった当時としては,兵役義務を履行しろという愛国的,合法的な発言」だったというのだ。
親日派処断の妥当性と効用に疑問を提起する一方で,彼は親日派断罪の道徳的権威も否定する。軍部独裁時代,権力の圧力に屈して「龍飛御天歌」を奉じる(御用記事を書く)ことを拒否した言論人がさほど多くないわれわれの世代が,どのように彼らを非難できるかというのだ。「罪なき者,石を投げろ」は,一種の「共犯論」だ。
自身の主張が起こすであろう波紋をよく知りながらも,このような本を書いたことについて,彼は「日本に対する恨,劣等感,民族主義的偏向から抜け出し,日本,日帝時代を客観的に見ることを促すため」と打ち明ける。しかし,このような主張は,情緒的反感をおいても客観的根拠が薄弱だという反駁に遭っている。
金ミンチョル民族問題研究所研究室長は「日帝時代の人口増加は近代期の一般的現象で,日帝の植民統治がよかった結果と見ることはできない」と指摘する。また「朝鮮が崩壊し,人口統計システムもくずれたため,1934年の国勢調査以前の人口統計は信用のおけない不正確な資料であるというのが学界の通説」と説明し,卜氏が提示した1910年比94.4%という人口増加率は事実ではないと指摘する。
彼は「日帝時代が「まあまあの地獄」だったという卜氏の主張は,日帝の植民支配を正当化(合理化)するものであり,親日の不可避性や親日派断罪の共犯論を強調するのは,本当に断罪すべき親日派に免罪符を与えること」と批判する。(親日派として糾弾される)死んだ者たちを弁護するのに先立って,彼らの謝罪と反省がまずなければならないというのだ。
記者の読後感は,この本が客観を装った危険な詭弁に近いというものだ。著者は結びの言葉で「「社会的悪漢」を弁護することには,道徳的勇気と知的努力が必要だ」とし,(自身の主張のような)「社会的少数意見も擁護されなければならない」と書いている。しかし,植民支配の暗い遺産が,半世紀が過ぎても,われわれの社会のそこかしこに根深く残っているのをみるとき,彼が並べ立てている「死者たちのための弁護」は抗日先烈(殉国者)だけでなく「生きている者に対する冒涜」のように聞こえる。
オ・ミンファン記者
これは メッセージ 862 (bosintang さん)への返信です.
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