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つづき

投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/08/26 11:39 投稿番号: [1497 / 3669]
韓国日報2003年8月11日

[編集局から]歴史の見直し

  同じ言葉でも,言う人によって聞く側の受ける感じが違う。「植民統治の本質的制約と弊害にもかかわらず,日帝時代,朝鮮人の暮らしは相当よかった。彼らは朝鮮王朝統治下よりずっと良い暮らしをしただけでなく,物質的条件に限れば同じ時期の他国の人々に実質的にひけをとらない生活をした」。

  このような言葉が日本の政治家の口から出たら,すぐさま「妄言」になり,駐韓日本大使館の前は連日反日デモが波打つだろう。しかし,わが国の知識人が個人的苦悩をこめて述べた言葉ならば,話は別だ。強い拒否感を感じる人もあろうが,どんな根拠からこのようなことを言ったのか,興味を引かれる人もいるだろう。発言の主が1980年代末にベストセラー『碑銘を探して』の作家,卜鉅一(ポク・コイル)氏と聞けば,なおさらだ。

  卜氏が書いた『死者たちのための弁護』は,そのような興味を強く刺激する本だ。彼はこの本で,多くの実証的資料をもって日帝植民統治を再評価,通念とはまったく異なる植民地朝鮮の姿を描き出した。少なくとも,食べていくことに関するかぎり,植民地朝鮮は朝鮮王朝時代の疲弊した生活より相当よかったという論旨だ。

  さらに彼は,中心テーマである親日派問題に関して,包括的な範疇規定から抜け出し,より厳密な基準,すなわち不法性と自発性,朝鮮人の生活に及ぼした結果的危害性などを物差しに,より厳密な範疇を規定すべき,と主張する。ほじくればほじくるほど出てくる消極的親日派は,もはや歴史の束縛から解き放とうという主張だ。これを通じて日本に対する恨,劣等感,民族主義的偏向など,潜在意識の抑圧から自由になろうということだ。

  まことに挑発的な主張だが,一連の著作において彼が見せた真摯な態度を顧みるに,特に発想の純粋性を疑う必要はないようだ。また最近,わが国の知識社会において,このような問題提起が頻繁になっているのも事実だ。日帝植民史観のアンチテーゼとして確固たる地位を固めてきた民族主義史学が俎上にのぼり,虚構のイデオロギーとしての民族主義に対する批判も続いている。80年代後半に登場したものの学界と大衆の袋叩きに遭った,韓国資本主義発展の基礎条件が植民地朝鮮において準備されたという「植民地近代化論」の再評価作業も活発だ。

  このような流れは,記憶の衰えにつけこんだ「陰険な企み」にもなりうるし,主観的経験にとらわれ客観的全体性を無視した誤謬が是正されるということにもなりうる。

  歴史は絶えず再解釈される。時代によって,歴史から何を学ぶべきかという社会的要求が変わるためだ。日本の植民地支配に対する体験と追体験をたえず反芻し,憎悪と反感のエネルギーを利用しようという覚悟で率いていかなければならない時があった。そのときは,日帝の侵略に憤怒しながら,なすすべなく亡国への道を辿った自らの歴史に対する反省にはおろそかにされていた。そのような歳月は過去のものになりつつある。国際資本の陰謀だと一方的に押しつけるだけではすまなかった「IMF危機」を経て,芽生えた自己反省の気運,「民族経済論」の後退が契機だった。

  4日後は,58周年の光復節だ。60年近くの歳月が流れたのに,われわれの歴史理解が同じ場所に堂々巡りをするというのも不自然だ。卜氏の主張に拒否感を感じても,知識社会がそのまま無視したり,沈黙するより,胸襟を開いて論争に打って出ることを期待する。日ごと薄れゆく歴史に対する関心を新たに喚起するためだけであっても,それだけの値打ちがある。

(文化部長,ファン・ヨンシク)
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