韓国経済講座 第76回
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2006/12/21 13:50 投稿番号: [33155 / 38959]
アジア経済文化研究所
笠井
信幸
理事
急激なウォン高で韓国の輸出企業は事業計画の見直しを迫られている。今後も安定成長を続けるには、技術開発や品質アップで国際競争力を高めるしかない。韓国企業は、核心部品や素材を海外から導入し、新製品に組み込んで成長を続けてきたが、これを国産化していくことが緊急の課題だ。産業技術戦略の見直しをどう図っていくべきか。アジア経済文化研究所の笠井信幸理事は、「チンギス・ハーン」に学べと提言している。
こうしたイノベーション・システムは「クローズト・イノベーション」と言われ社内にのみ開かれた技術開発方式である。この方式を維持するということは、当該分野の最も優秀な人材を集め、大規模投資を行い基本原理の発見から市場化までの全てのプロセスを独力で行うなど企業にとっては負担が大きい。それでも他社、競争相手を排除して生き抜く手段として最も確実で有効な方法であった。「オープン・イノベーション」とは、こうしたかつてのイノベーション・パラダイムを開放化する論理のことである。
1990年代以降、特に国際市場では商品サイクルが短くなっているため開発から市場化までの時間が短縮されたことや技術普及が早く、1社にいつまでもオリジナル技術を止めて置けないこと、さらには消費者ニーズの多様化、消費者・サプライヤーの知識の向上で何処でも同類の製品開発が行われやすいことなどで「クローズト・イノベーション」方式に頼ることが次第に難しくなってきたのだ。
一方、中小企業は、クローズド・イノベーションによって、ナンバー・ワンの製品よりはオンリー・ワンの製品開発が必要である。そして下請けからの脱却を図り自立した企業として発展するチャンスを確立すべきである。日本の中小企業の強さの背景には、こうした独自技術を持ち、差別化を図りながら競争力を強化する企業が多いことがある。開発を狙うポイントは、価格の高い製品分野を低価格化したり、専門的な知識が無いと使用できない機器などを一般化する技術開発である。低迷する韓国の設備投資から脱却するための新戦略におけるイノベーション方式――大企業がオープン・イノベーション、中小企業がクローズド・イノベーションを進めることにより新技術分野の開発を進めることが肝要である。
http://www.toyo-keizai.co.jp/feature.html
<在日社会>故金一氏の自伝韓日同時出版・パッチギ(頭突き)で両国結ぶ
1960〜70年代に韓日両国で活躍し、10月26日に亡くなった往年の名プロレスラー、金一さん(キム・イル、日本名・大木金太郎/おおききんたろう)の追悼式と自伝の出版記念会が13日、都内のホテルで開かれた。金一さんはスポーツで韓日を結ぶ先駆けとなった存在で、約400人の参列者はその死を悼んだ。
1963年に世界ヘビー級チャンピオンになるなど、アントニオ猪木、ジャイアント馬場と並ぶ三羽がらすとして人気を博す。また、韓国出身であることを公言していた。ファンから人気を集める一方で、「朝鮮人帰れ」「にんにく臭いぞ」などの心無い野次が飛んでくることも、多々あったという。その野次に対する怒りを逆に闘志に変え、金一さんは相手のレスラーに向かっていった。その姿に在日社会も熱い声援を送った。
63年12月に師匠の力道山が亡くなった後、65年に韓国に戻り、韓国プロレス界の発展に尽くした。「パッチギ(頭突き)キング」の愛称で親しまれた。
経済の近代化を目指す韓国民の希望の星であり、プロレス中継がある日には、街頭テレビの前やテレビを置いた喫茶店が人々であふれたという。
金一さんが頭突きで外国人レスラーを倒す姿に、人々は興奮し、「パッチギ、パッチギ」と叫んだ。引退までリングで放ったパッチギは3万発になる。金さんは引退後、日本で事業を展開したが失敗。韓国に再び戻った後は、頭突きの後遺症と糖尿病などで闘病生活を送っていた。
http://www.toyo-keizai.co.jp/zainichi.html
急激なウォン高で韓国の輸出企業は事業計画の見直しを迫られている。今後も安定成長を続けるには、技術開発や品質アップで国際競争力を高めるしかない。韓国企業は、核心部品や素材を海外から導入し、新製品に組み込んで成長を続けてきたが、これを国産化していくことが緊急の課題だ。産業技術戦略の見直しをどう図っていくべきか。アジア経済文化研究所の笠井信幸理事は、「チンギス・ハーン」に学べと提言している。
こうしたイノベーション・システムは「クローズト・イノベーション」と言われ社内にのみ開かれた技術開発方式である。この方式を維持するということは、当該分野の最も優秀な人材を集め、大規模投資を行い基本原理の発見から市場化までの全てのプロセスを独力で行うなど企業にとっては負担が大きい。それでも他社、競争相手を排除して生き抜く手段として最も確実で有効な方法であった。「オープン・イノベーション」とは、こうしたかつてのイノベーション・パラダイムを開放化する論理のことである。
1990年代以降、特に国際市場では商品サイクルが短くなっているため開発から市場化までの時間が短縮されたことや技術普及が早く、1社にいつまでもオリジナル技術を止めて置けないこと、さらには消費者ニーズの多様化、消費者・サプライヤーの知識の向上で何処でも同類の製品開発が行われやすいことなどで「クローズト・イノベーション」方式に頼ることが次第に難しくなってきたのだ。
一方、中小企業は、クローズド・イノベーションによって、ナンバー・ワンの製品よりはオンリー・ワンの製品開発が必要である。そして下請けからの脱却を図り自立した企業として発展するチャンスを確立すべきである。日本の中小企業の強さの背景には、こうした独自技術を持ち、差別化を図りながら競争力を強化する企業が多いことがある。開発を狙うポイントは、価格の高い製品分野を低価格化したり、専門的な知識が無いと使用できない機器などを一般化する技術開発である。低迷する韓国の設備投資から脱却するための新戦略におけるイノベーション方式――大企業がオープン・イノベーション、中小企業がクローズド・イノベーションを進めることにより新技術分野の開発を進めることが肝要である。
http://www.toyo-keizai.co.jp/feature.html
<在日社会>故金一氏の自伝韓日同時出版・パッチギ(頭突き)で両国結ぶ
1960〜70年代に韓日両国で活躍し、10月26日に亡くなった往年の名プロレスラー、金一さん(キム・イル、日本名・大木金太郎/おおききんたろう)の追悼式と自伝の出版記念会が13日、都内のホテルで開かれた。金一さんはスポーツで韓日を結ぶ先駆けとなった存在で、約400人の参列者はその死を悼んだ。
1963年に世界ヘビー級チャンピオンになるなど、アントニオ猪木、ジャイアント馬場と並ぶ三羽がらすとして人気を博す。また、韓国出身であることを公言していた。ファンから人気を集める一方で、「朝鮮人帰れ」「にんにく臭いぞ」などの心無い野次が飛んでくることも、多々あったという。その野次に対する怒りを逆に闘志に変え、金一さんは相手のレスラーに向かっていった。その姿に在日社会も熱い声援を送った。
63年12月に師匠の力道山が亡くなった後、65年に韓国に戻り、韓国プロレス界の発展に尽くした。「パッチギ(頭突き)キング」の愛称で親しまれた。
経済の近代化を目指す韓国民の希望の星であり、プロレス中継がある日には、街頭テレビの前やテレビを置いた喫茶店が人々であふれたという。
金一さんが頭突きで外国人レスラーを倒す姿に、人々は興奮し、「パッチギ、パッチギ」と叫んだ。引退までリングで放ったパッチギは3万発になる。金さんは引退後、日本で事業を展開したが失敗。韓国に再び戻った後は、頭突きの後遺症と糖尿病などで闘病生活を送っていた。
http://www.toyo-keizai.co.jp/zainichi.html