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>弥生系が多そうな九州でも

投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/05/08 07:33 投稿番号: [4601 / 49973]
>弥生系が多そうな九州でもかなりの地域で縄文系と思われる地域があります

ちょっと疑問になったのですが、朝鮮半島南部(三韓地域)にいたと考えられる倭人も、いわゆる弥生系と言うことなんでしょうか?

>隼人が熊襲と親戚かどうかも不明です

系統としては同じでも違う王を戴いていたと言うこともあるかもしれませんね。

>人種的に[倭人」に吸収されてしまうほどの少数だったら、そもそもそれ程激しい抵抗はできないだろうし

この問題は、ひとつには東北地方が当時の交通手段で考えて畿内から非常に遠いということがありますよね。
遠征軍の行動範囲としては、ほとんど行動の限界点だった可能性が高いですし、地理に不案内な朝廷軍は、性急な軍事行動が可能だったとは少々思いがたいものがあります。
道や砦を建設しながらの行軍だったみたいですし。

一方で、蝦夷側は、蝦夷地全体を行動半径の内側にして戦略を立てられるわけだから、ゲリラ的に戦えば、純軍事的には戦えないことはなかったと思いますよ。
(もちろん、指導者であるアテルイは卓越した能力の持ち主ではあったと思いますが)

結局、坂上田村麻呂の蝦夷攻略も、軍事攻略と言うよりは、調略や占領地の経営による懐柔が中心だったみたいですし。

伝えられているとおり、坂上田村麻呂が10万人もの大軍を率いていたとなれば、それは蝦夷地のいかなる集団よりも巨大な人口を持っていたはずで、この軍勢と、それに続いて入ってくる入植者の人口圧力を通じて蝦夷を追い詰めたというのは十分考えられると思います。

ねぶた祭なんかは田村麻呂伝説に起源があるみたいですね。

田村麻呂はアテルイの刑死後、彼の済んでいたところに清水寺(田村麻呂が建立にかかわったとされる)を模した堂を建てたという話ですが、実際に見たことがないのでほんとかどうかは知りません。

>アーサー王伝説の起源のベードンヒルの戦いが6世紀初頭

赤城さん、相変わらず守備範囲が広いですね。
ベードンヒルの戦いは、
Siege of Mount Badon
でしたっけ?

面白いことには、当時の文献には、アーサーと言う名前は出てこないようです。
8〜9世紀ごろにできたアーサー王物語の原型にも、やはりアーサーと言う名前は出てこないらしい。

現在のようなアーサー王物語がまとまったのは12世紀ごろみたいですね。

マーク・トゥエインの小説に
「アーサー王に会った男」
と言うのがあるんですが、私は小学生のころこれがとても好きでした。
内容は、コネチカットの工場技師がちょっとした弾みでアーサー王時代にタイムスリップすると言う他愛もないものでしたが。

ちょートピずれでした。
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