Re: 普遍的に考えるべきです Re: 意見が少
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/04/01 02:20 投稿番号: [97781 / 99628]
>これは曲解です
そうですか。
では、特定の国家(自分が帰属する国家)へ肩入れすべきだとおっしゃるのは、どういう次元を視野に入れてのことですか?
私は特定の国家へは肩入れも応援もしないといいました。ただし、ある国家(それは特定ではなく世界中の国々が対象です)のある政策なり方針なり制度なら、肩入れというか(じっさい、何か具体的行動を起こすわけでもないので)、心情的に支持応援はするわけです。
しかし、チロノカイヌシさんは、他国や複数国ではなく、それは個別の政策とかでもなく、自国それ自体に肩入れすべきだと説かれます。にもかかわらず、国家が国家的意思のもとで行う行為(たとえば、北朝鮮による大韓航空機爆破事件)を、「盲信」したり「無条件服従」したり「善悪判断の放棄」した上、肩入れするのは間違いだとばかりに今度はおっしゃります。
そこには、たとえ自分が属する国家とはいえ、肩入れ(応援)できないことがあるという前提(可能性)を取り込んで、最終的には個々の構成員が自分なりの哲学道徳と普遍的価値観などから個別に判断して自己決定するべきだという、国家の論理に拘束されない自由意志の尊重が見出せるわけです。
であれば、自分のパスポートを発行する国家には肩入れ(応援)すべきだというテーゼは、ここにおいて覆されます。国家が丸ごと最低最悪なら、わずかな肩入れすらも忌避したく、それをチロノカイヌシさんも認めるわけです。
>人が誰かに治安維持を委託するとき、国家はフィクションではありません。人間の営みを表現した「概念」というべきですね
「概念」=イデーです。「概念」の概念とは、〜とは何か? といった形而上学的な問いの立て方です。その意味で、フィクションです。
それはともかく、私がいってるのは、「人が誰かに治安維持を委託」するにせよ、それを果たす側は無償の行為としてその「営み」を果たすわけではありません。その意味で両者は対等ですから、何も卑屈にありがたがる必要などないと申し上げているのです。
>「全面的に」は貴方が今つけた言葉です
さらに付け加えますが、全面「的」に応援できるような理想の国家がこの地上にあれば、応援してもいいですよ。現状、それはとくに見出せないし(将来もたぶんない、というか全部の国を知らない)、日本も韓国も贔屓のフランスも例外ではありません。
>貴方はどの国も「応援しない」つまり助けない、といったわけです。それで「主体」はおかしいだろ、というのは自然でしょう
そうですか?
国家への批判を「応援」と解釈されるのなら、私は日本も韓国も応援してますよ。でも、そういう言動は「反日」「反韓」と単純に括って、つまり「反国家」的立場だと見做されるわけでしょ? つまり、チロノカイヌシさんと私では、国家への肩入れ(応援)の「概念」に根源的(思想的)な差異があるのです。
>社会契約の契約主体として、国家と国民は相互に助け合う義務がある
これもすでに上に述べたように、その「助け合う」仕草をめぐる解釈がほぼ正反対である以上、チロノカイヌシさんのおっしゃる「助け合う」には、基本的に加担できません。
>政治的発言が利己的な動機によるものでも批判されるべきでない。だからどこの国を「応援するか」は重要なんですが
だからネットウヨクはダメなんです。
そういう考えなら、どの国の誰も批判できなくなります。金正日が「利己的な動機」から、拉致問題はすでに解決済みといえば、そういう発言を応援する北朝鮮国民はよいわけですね?
この場合の「政治的発言」とは、具体的な国家政策行動と変換しても問題ないでしょう。となると、北朝鮮がテロで無辜の民を殺戮したって、それも(彼らが考えた)「利己的な動機」に基づくわけだから、それを北朝鮮の国民は応援(支持)すべきだ、と結局こういってるわけです。
米国が「利己的な動機」から原爆投下して長崎市民を大量殺戮しても、米国民は米国の原爆投下を応援(支持)すべきだ、とこうなるわけです。この「思想」の行き着く先が、国益至上主義の立場から原爆投下を「思想」的に肯定して、ある頑固者の「血液沸騰」原因となるヒダリノさんです。(この一文にまた「血液沸騰」させて、「ほらまたデッチアゲ」だと噛み付く用意万端の「血液沸騰」君はしばらく放っておきます)
いい加減、そういう糞以下の「思想」、ではなく単に「幼児のわがまま」から成長されるべきです。
そうですか。
では、特定の国家(自分が帰属する国家)へ肩入れすべきだとおっしゃるのは、どういう次元を視野に入れてのことですか?
私は特定の国家へは肩入れも応援もしないといいました。ただし、ある国家(それは特定ではなく世界中の国々が対象です)のある政策なり方針なり制度なら、肩入れというか(じっさい、何か具体的行動を起こすわけでもないので)、心情的に支持応援はするわけです。
しかし、チロノカイヌシさんは、他国や複数国ではなく、それは個別の政策とかでもなく、自国それ自体に肩入れすべきだと説かれます。にもかかわらず、国家が国家的意思のもとで行う行為(たとえば、北朝鮮による大韓航空機爆破事件)を、「盲信」したり「無条件服従」したり「善悪判断の放棄」した上、肩入れするのは間違いだとばかりに今度はおっしゃります。
そこには、たとえ自分が属する国家とはいえ、肩入れ(応援)できないことがあるという前提(可能性)を取り込んで、最終的には個々の構成員が自分なりの哲学道徳と普遍的価値観などから個別に判断して自己決定するべきだという、国家の論理に拘束されない自由意志の尊重が見出せるわけです。
であれば、自分のパスポートを発行する国家には肩入れ(応援)すべきだというテーゼは、ここにおいて覆されます。国家が丸ごと最低最悪なら、わずかな肩入れすらも忌避したく、それをチロノカイヌシさんも認めるわけです。
>人が誰かに治安維持を委託するとき、国家はフィクションではありません。人間の営みを表現した「概念」というべきですね
「概念」=イデーです。「概念」の概念とは、〜とは何か? といった形而上学的な問いの立て方です。その意味で、フィクションです。
それはともかく、私がいってるのは、「人が誰かに治安維持を委託」するにせよ、それを果たす側は無償の行為としてその「営み」を果たすわけではありません。その意味で両者は対等ですから、何も卑屈にありがたがる必要などないと申し上げているのです。
>「全面的に」は貴方が今つけた言葉です
さらに付け加えますが、全面「的」に応援できるような理想の国家がこの地上にあれば、応援してもいいですよ。現状、それはとくに見出せないし(将来もたぶんない、というか全部の国を知らない)、日本も韓国も贔屓のフランスも例外ではありません。
>貴方はどの国も「応援しない」つまり助けない、といったわけです。それで「主体」はおかしいだろ、というのは自然でしょう
そうですか?
国家への批判を「応援」と解釈されるのなら、私は日本も韓国も応援してますよ。でも、そういう言動は「反日」「反韓」と単純に括って、つまり「反国家」的立場だと見做されるわけでしょ? つまり、チロノカイヌシさんと私では、国家への肩入れ(応援)の「概念」に根源的(思想的)な差異があるのです。
>社会契約の契約主体として、国家と国民は相互に助け合う義務がある
これもすでに上に述べたように、その「助け合う」仕草をめぐる解釈がほぼ正反対である以上、チロノカイヌシさんのおっしゃる「助け合う」には、基本的に加担できません。
>政治的発言が利己的な動機によるものでも批判されるべきでない。だからどこの国を「応援するか」は重要なんですが
だからネットウヨクはダメなんです。
そういう考えなら、どの国の誰も批判できなくなります。金正日が「利己的な動機」から、拉致問題はすでに解決済みといえば、そういう発言を応援する北朝鮮国民はよいわけですね?
この場合の「政治的発言」とは、具体的な国家政策行動と変換しても問題ないでしょう。となると、北朝鮮がテロで無辜の民を殺戮したって、それも(彼らが考えた)「利己的な動機」に基づくわけだから、それを北朝鮮の国民は応援(支持)すべきだ、と結局こういってるわけです。
米国が「利己的な動機」から原爆投下して長崎市民を大量殺戮しても、米国民は米国の原爆投下を応援(支持)すべきだ、とこうなるわけです。この「思想」の行き着く先が、国益至上主義の立場から原爆投下を「思想」的に肯定して、ある頑固者の「血液沸騰」原因となるヒダリノさんです。(この一文にまた「血液沸騰」させて、「ほらまたデッチアゲ」だと噛み付く用意万端の「血液沸騰」君はしばらく放っておきます)
いい加減、そういう糞以下の「思想」、ではなく単に「幼児のわがまま」から成長されるべきです。
これは メッセージ 97738 (chironokainushi さん)への返信です.
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