Re: 不確かな言説と不確かな推論
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2006/05/27 02:26 投稿番号: [94213 / 99628]
またまた遅れて申し訳ないです。
>ユダヤ人の商人に騙されて身ぐるみ剥がれての、ただの捨て台詞かもしれません
ただ、なぜ「捨て台詞」がレイシズム的言葉となるのかしら? 猜疑心の強い私なんかはそのからくりを追求したくもなります。これって結局その人が潜在的に抱いているユダヤ人蔑視感情の顕在化ではないの? こういう疑念が拭えないわけです。
我々が生きる成熟した今の社会というのは、他民族及び人種をその出自ゆえに差別陵辱蔑視迫害してはならない、という国際的合意があります。にもかかわらず、例えば、いくらかの日本人が韓国朝鮮人にその種の是認されない感情を内面的に持つ、あるいは、WASPの何人かが黒人とかヒスパニック系住人に同種のそれを同じく心の内側に持つ、否、持ちたくなくとも持ってしまっている、これはもうある意味どうしようもないわけです。制度としての差別なら解消できても、邪悪な個々の感情までを払拭するのは人によっては不可能ですからね。となると、そういう気の毒な潜在的レイシストたちは今の社会でその排他的感情を抑圧して生きるほかないのですが、それが何かを契機に表に現出してしまった、と、上の事例はそういうふうにも読めるわけです。
ちなみに、最近話題になったアンチハリウッドのアメリカ映画「クラッシュ」にはその辺の事情が描かれているようです。
もとより、hakobune18 さんがおっしゃったように、それだけでレイシストという断定は避けねばならない、これはわかりました。ですが、何かの拍子に吐かれた一言、これはそうそう看過できない気がします。
>「社会主義者と朝鮮人が井戸に毒を入れている」という無作為抽出された多数の合意があれば、そこから客観的な判定が下せるのでしょうか
なるほど、たしかに流言飛語などにも「無作為抽出された多数の合意」が認められる場合があるでしょうが、客観的事実とは無縁の代物ですね。しかし、民主主義の原則が一応多数決の原理である以上、この「合意」にはある程度の尊重は必要だともいえます。が、それが真実とは限らない、そういうケースも間々ある、ゆえにこれを金科玉条としてはならない、そんなところでしょうか。
うーむ、なるほど、またまたですが、言われてみれば、おっしゃる通りかもしれません。ならば、それは、
>あくまでも一つの判断材料に過ぎない
と言われても、頷くほかありません。この判断基準は他の種類のそれと比べて決して軽視できないが、それでも「判断材料」の域を出るものではない、と、こういうことですね。ここまではよくわかりました。
とすると、私のやり方が否定されたわけですから、次に、私の興味は hakobune18 さんの事象に対する客観判断の方法論へと向かうわけですが、それを詳しく「山田さん」を例に述べられてますね。これもおっしゃることはわかります。
>ファジーな情報「群」を元に、一定の方向性を見出したり価値付けをしたりする能力
その「能力」には個人差が大きく、それゆえに軋轢も生じたりするのかもしれませんが、それはともかく、その「一定の方向性を見出したり価値付けをしたりする」作業の過程を、ふつう、「主観」と我々は呼んでるわけです。これはもう今更改めて私と hakobune18 さんの間で確認する必要もない当たり前なことだと思います。
>ユダヤ人の商人に騙されて身ぐるみ剥がれての、ただの捨て台詞かもしれません
ただ、なぜ「捨て台詞」がレイシズム的言葉となるのかしら? 猜疑心の強い私なんかはそのからくりを追求したくもなります。これって結局その人が潜在的に抱いているユダヤ人蔑視感情の顕在化ではないの? こういう疑念が拭えないわけです。
我々が生きる成熟した今の社会というのは、他民族及び人種をその出自ゆえに差別陵辱蔑視迫害してはならない、という国際的合意があります。にもかかわらず、例えば、いくらかの日本人が韓国朝鮮人にその種の是認されない感情を内面的に持つ、あるいは、WASPの何人かが黒人とかヒスパニック系住人に同種のそれを同じく心の内側に持つ、否、持ちたくなくとも持ってしまっている、これはもうある意味どうしようもないわけです。制度としての差別なら解消できても、邪悪な個々の感情までを払拭するのは人によっては不可能ですからね。となると、そういう気の毒な潜在的レイシストたちは今の社会でその排他的感情を抑圧して生きるほかないのですが、それが何かを契機に表に現出してしまった、と、上の事例はそういうふうにも読めるわけです。
ちなみに、最近話題になったアンチハリウッドのアメリカ映画「クラッシュ」にはその辺の事情が描かれているようです。
もとより、hakobune18 さんがおっしゃったように、それだけでレイシストという断定は避けねばならない、これはわかりました。ですが、何かの拍子に吐かれた一言、これはそうそう看過できない気がします。
>「社会主義者と朝鮮人が井戸に毒を入れている」という無作為抽出された多数の合意があれば、そこから客観的な判定が下せるのでしょうか
なるほど、たしかに流言飛語などにも「無作為抽出された多数の合意」が認められる場合があるでしょうが、客観的事実とは無縁の代物ですね。しかし、民主主義の原則が一応多数決の原理である以上、この「合意」にはある程度の尊重は必要だともいえます。が、それが真実とは限らない、そういうケースも間々ある、ゆえにこれを金科玉条としてはならない、そんなところでしょうか。
うーむ、なるほど、またまたですが、言われてみれば、おっしゃる通りかもしれません。ならば、それは、
>あくまでも一つの判断材料に過ぎない
と言われても、頷くほかありません。この判断基準は他の種類のそれと比べて決して軽視できないが、それでも「判断材料」の域を出るものではない、と、こういうことですね。ここまではよくわかりました。
とすると、私のやり方が否定されたわけですから、次に、私の興味は hakobune18 さんの事象に対する客観判断の方法論へと向かうわけですが、それを詳しく「山田さん」を例に述べられてますね。これもおっしゃることはわかります。
>ファジーな情報「群」を元に、一定の方向性を見出したり価値付けをしたりする能力
その「能力」には個人差が大きく、それゆえに軋轢も生じたりするのかもしれませんが、それはともかく、その「一定の方向性を見出したり価値付けをしたりする」作業の過程を、ふつう、「主観」と我々は呼んでるわけです。これはもう今更改めて私と hakobune18 さんの間で確認する必要もない当たり前なことだと思います。
これは メッセージ 94153 (hakobune18 さん)への返信です.
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