Re: 日本と韓国の歴史教育の違い
投稿者: hakobune18 投稿日時: 2006/04/23 01:26 投稿番号: [94028 / 99628]
さて、友人に言われて考えたもう一つのことです。
「相手が違うという前提で物事に対処する」それは正しい。しかしながら、そのためにはもう一つ必要なことがあります。
それは、相手を正しく知るということ。
残念ながら、教育界やマスコミ界の過去の多大な努力によって、朝鮮人は「善良で」「平和を好み」「礼儀正しく」「忍耐強く」「正直である」という間違った認識が、まだまだ大手を振って歩いています。
だからこのトピのような所が必要なのです。
反朝鮮の書き込みを認めるのです。
行き過ぎの意見があっても、逆に行きすぎている間違った認識があるのだから、バランス上私は許容するのです。(さすがにあまりにも目に余る投稿には私も過去に反論して、在日扱いされたこともありますが。これは個人的な尺度の問題でしょう。)
相手と同じレベルでやり合うのは大人の対応じゃない、という意見もあるでしょう。でも、こと対朝鮮に関しては、私はそうは思いません。一方的に相手に隷属するのは、大人の対応なんかではありません。殴られたら、断固として殴り返してやることも、時には必要なのです。
次に行きます。
>韓国的教育とここの人たちが理想とする日本のそれは、愛国心の称揚に重大な価値を置く、という点で同じなのだし、またここの人たちは権力によるその押し付けも良しと考えている、と私は判断しました
「ここの人たち」ではなく、私個人の考えでお答えします。まず、「重大な」という修飾語はかなり曖昧なので、削除して考えてください。そうすれば、私はそのとおりだと思っています。
公教育で愛国心を育てるべきです。愛国心のない国家(社会と言い換えてもよい)は荒廃し、滅びるだけでしょうから。また、民主国家である日本の権力は主権者である国民に依託されたものであるので、「権力による押しつけ」は詭弁です。多くの国民がそれを望んでいると捉えた方がよいですね。
>普通に考えて、自己愛史観は自己愛であるがゆえ排他的である、と言えるわけです。なぜなら、自己愛とは他者蔑視との相対性においてこそ初めて存在し得る観念だからです。
これは明確な誤りだと思います。私は「自尊感情」と表現しますが、「自尊感情」は他者との比較で得られるものではありません。また、自尊感情が高い人ほど他者に対して寛容になれるというのは事実です。
個人的には、あなたの意見の中でこの部分が最も納得できないところです。それ以外はだいたい「立場の違い」「価値観の違い」で理解できるのですが、ここは間違いだと思いますよ。
ところで、あなたはこれまで「批判」ばかりされてきました。自由主義史観に基づく教育は駄目、かといって自虐史観も駄目。
そろそろ、批判ではなく、主張をされるべきではないでしょうか。
あなたの言われる「自己愛史観」でも「自虐史観」でもない、どのような「史観」に基づく歴史を教えるべきなのか。是非伺ってみたいと思います。
「相手が違うという前提で物事に対処する」それは正しい。しかしながら、そのためにはもう一つ必要なことがあります。
それは、相手を正しく知るということ。
残念ながら、教育界やマスコミ界の過去の多大な努力によって、朝鮮人は「善良で」「平和を好み」「礼儀正しく」「忍耐強く」「正直である」という間違った認識が、まだまだ大手を振って歩いています。
だからこのトピのような所が必要なのです。
反朝鮮の書き込みを認めるのです。
行き過ぎの意見があっても、逆に行きすぎている間違った認識があるのだから、バランス上私は許容するのです。(さすがにあまりにも目に余る投稿には私も過去に反論して、在日扱いされたこともありますが。これは個人的な尺度の問題でしょう。)
相手と同じレベルでやり合うのは大人の対応じゃない、という意見もあるでしょう。でも、こと対朝鮮に関しては、私はそうは思いません。一方的に相手に隷属するのは、大人の対応なんかではありません。殴られたら、断固として殴り返してやることも、時には必要なのです。
次に行きます。
>韓国的教育とここの人たちが理想とする日本のそれは、愛国心の称揚に重大な価値を置く、という点で同じなのだし、またここの人たちは権力によるその押し付けも良しと考えている、と私は判断しました
「ここの人たち」ではなく、私個人の考えでお答えします。まず、「重大な」という修飾語はかなり曖昧なので、削除して考えてください。そうすれば、私はそのとおりだと思っています。
公教育で愛国心を育てるべきです。愛国心のない国家(社会と言い換えてもよい)は荒廃し、滅びるだけでしょうから。また、民主国家である日本の権力は主権者である国民に依託されたものであるので、「権力による押しつけ」は詭弁です。多くの国民がそれを望んでいると捉えた方がよいですね。
>普通に考えて、自己愛史観は自己愛であるがゆえ排他的である、と言えるわけです。なぜなら、自己愛とは他者蔑視との相対性においてこそ初めて存在し得る観念だからです。
これは明確な誤りだと思います。私は「自尊感情」と表現しますが、「自尊感情」は他者との比較で得られるものではありません。また、自尊感情が高い人ほど他者に対して寛容になれるというのは事実です。
個人的には、あなたの意見の中でこの部分が最も納得できないところです。それ以外はだいたい「立場の違い」「価値観の違い」で理解できるのですが、ここは間違いだと思いますよ。
ところで、あなたはこれまで「批判」ばかりされてきました。自由主義史観に基づく教育は駄目、かといって自虐史観も駄目。
そろそろ、批判ではなく、主張をされるべきではないでしょうか。
あなたの言われる「自己愛史観」でも「自虐史観」でもない、どのような「史観」に基づく歴史を教えるべきなのか。是非伺ってみたいと思います。
これは メッセージ 94021 (parkavenuecanada さん)への返信です.
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